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若き日に知っておくべきこと(筆者:あおいみかん)
『修身教授録 【現代に甦る人間学の要諦】』(森信三)を少しずつ読んでいる。
これは、森信三氏の大阪の天王寺師範学校での講義を収録したものだ。
今日は、「第六講──人生の終始」を読んだ。
人は四十歳まで潜行密用に、つまり、人が見ていようが見ていまいが、努力をすることが必要だ。
なぜなら、40歳から本当の人生が始まると言えるからである。
だから、そのことに今から気づいて、もしくは心して、人生の前半を生きていくことがいかに大事かということだった。
そして、そのことを若い人たちに是非知ってほしいという内容だった。
それ故人間も四十歳前後になったならば、自分の一生について、大体の見通しがつきかけねばならぬと思うのです。そうしてわが命の果てる地点についても、大よその見当がつき出さねばならぬと思うのです。
よほどの人でない限り、四十近くまでは、お互いに迷いやすいということです。同時にまた人間も、四十の声を聞いて人生の秋風に身を曝しながら、人生の道について迷っているようでは困ると思うのです。
諸君らも気をつけないと、四十の声を聞いて鬢髪霜をまじえだす年頃になっても、なお迷いから抜け出せないというようなみじめさに、陥らないとは言えないでしょう。
この二十歳から四十歳までの二十年間の準備のいかんが、その後半人生の活動を左右すると言ってもよいでしょう。(中略)これはまことに正直な話で、道理としては一応何人にも分かることですが、しかし年若くしてこの道理に気づくということは、決して容易ではありません。(中略)それ故人間も四十にもなって初めてこの真理に気づき出すというのは、畢竟それまでの歩みがおろそかだった証拠であって、つまりは、自己の前半生に対する一種の悔恨として気づくわけで、現にかく言う私自身もその一人であります。
ですから、諸君らの真の人生の旅は、まさに卒業と同時に始まるわけであり、そして諸君らの真の活動は、繰り返し申してきたように、二十年後の四十歳前後から、本舞台にかかると言ってよいでしょう。したがってそれまでは、長い準備期間という点からは、卒業などということは物の数にもならぬわけです。
本当に若い人に是非、知ってもらいたい、届けたい言葉だと思った。
ぼくは、その四十の声を数年前に聞いた。
だが、いまだ五里霧中の真っ只中にいる。
ぼくは努力をしてこなかった。
これはもう取り返しがつかない。
つまり、「一種の悔恨として気づ」いたのだ。
まったく、恥ずかしい話だ。
しかし、悔やんでいても仕方がないので、いまからでもでき得ることをしていくしかないと思っている。
だからこそ、今の若い人たちには、是非、このようなことを知ってほしいし、こういう本に出会ってほしい。
少なくとも、このような話を一度でもいいから、聴く機会に恵まれてほしいと願わずにはいられない。
![あおいみかん™︎](https://assets.st-note.com/img/1721109515855-1LYJaMEexM.jpg?width=1200)
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