一日、そしてまた一日。(筆者:あおいみかん)
今日が終わった
今日もなんとか終わりました。
こんな生き方でいいのかと、自分を責めてしまいます。
この「ことば」が、ぼくを責めます。
今がわからない
これでいいのか?
答えなんてないのは、わかっているのです。
でも、どうしたらいいのか?
もう這い上がれないような、絶望感にもがきます。
気を抜くと希死念慮が
その絶望感は、言葉ではなく、"感覚"として「死」を伝えてきます。
そのたびに、
「ダメだ!生きなきゃ」
そう自分に言い聞かせます。
まだそれが伝えてくる手段が、「感覚」だから生きていられるのかもしれないと思います。
「痛そう」とか「苦しむだろうな」と考えるから。
「ことば」で死を伝えてきたら、そこに感覚が伴わないために、素直に従ってしまいそうな気がしています。
絶望感は、今のところ、「ことば」という手段を使ってこない。気づいていないのかもしれないし…、それはぼくにはわかりません。
見通しが立たない
先がわからないことは、僕にとって不安の原因です。
今まさに、先が、一寸先が、わからない中で生きています。
とても危険だと自分でも感じます。
ただ、それに気づいているうちは、まだ、大丈夫かなとも思います。
なにしろ、死への導きは、今のところ、「感覚」なので、ふらっと行っていまいそうになるのですが、踏み止まれる。
なんとかなる
絶望感が今の自分です。
それには、「なんとかなる」と言い聞かせています。
根拠は何もありません。
だけど、「今はまだ、死ぬわけにはいかない」と思う自分がいます。
もがいています。
もし、今、あなたが、もがいているなら、いっしょにもがきましょう。
今日一日、なんとしても生きましょう。
今日一日だけは、なんとか生きましょう。
今日一日だけは…なんとか…
あなたは一人じゃない
一日、一日を積み重ねたのが人生です。
あなたが知らないところで、あなたのことを見ている人がいます。
あなたのことを思う人がいます。
もしかしたら、あなたがその人にとっての生きがいかもしれません。
みんな、つながっています。
ぼくの大好きな、喜多川泰さんの著書に、『書斎の鍵』という本があります。
これを思い出すたび、少しでも「幸せ」だと思う瞬間を手に入れようとしながら、生きていこうと思うのです。
もがいてでも、生きていかなきゃと思うのです。
今後の活動費に使わせていただきます!