How are you finding your life?
先日のニュースで梅雨入りが報じられたところですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
もう梅雨入りしてから1週間弱?くらいになると思いますが、自室に置いてある湿度計(兼温度計)は常に70%以上を維持している今日この頃。
僕は雨が嫌いなんじゃない。夜寝る時間帯に降る雨は非常に心地良く感じるし、雨の匂いと少しもやがかっている外の景色もなかなかに感じるものがありますよね。
そんな中、気がつくと今年の前半戦が終わりに近づいております。
毎年思うことだけど、”ここまで何が出来たのかなぁ”とか、”どんな変化があったのかなぁ”とか、振り返ってみては少なからず虚しさやもどかしさなんかを感じたりしております。
別に充実していなかったわけではないのだけれど、兵どもが夢の跡というか、喉元過ぎれば暑さ忘れるというか...。
人それぞれ、経験したこと、思案したこと、努力したこと、断絶したこと、意識したこと...といったように多種多様にカテゴライズできることがあるのでしょう。
そして、そのことを通じて現在の自分が形作られていることは否定できないところが大きいと思うのですが、いざ回顧してみると何が残せたのか、何を得られたのかといったようなことに自信を持てなくなる時があるのです。
そうですね...例えるならば読書に似ているのかもしれません。
本棚を見返してみると自分で買った本、借りた本が山積している。
読んだ本と読んでいない本は、明瞭に覚えている。
読んだ本を列挙して内容を思い返す。
書かれている内容を覚えているものとそうでないものがある。
覚えている内容についてはかなりの差がある。
概要しか記憶に残っていないもの、細部まで覚えているものがある。
内容を忘れているものはまた読み返そうと思い立つ。
読み返そうと思い立ってから、読むものと読まないものに区分される。
そしてまた本棚を見返す時が来る...。
特別に自分がネガティブと感じたことは、人生で一度もありませんが、この時ばかりは幾ばくかの虚しさに似た感情を覚えます。もしかしたらそれが必要なことなのかもしれませんが。
あの知識は何の役に立つのだろう?
これだけの時間を費やしたあの行為に何の意味があったのだろう?
あの選択ではなく別の選択をしておけば...
ここに書き出したこと以外にもっとマイナスなことを考えてしまう人もいるでしょう。でも逆に、全くそんなことを考えない人もいることでしょう。
何を言いたかったのか...それはどちらが良くてどちらが悪いということではないのです。
あまり過去を振り返りすぎない方が、人生は楽しくなるんじゃないのかなっていうことです。
過去を否定的に捉えすぎると、自分のしてきた事や考えてきた事への後悔や疑念がオーバードーズしてしまうし、反対に肯定的に捉えすぎると油断や慢心に繋がってしまうかもしれません。
嗚呼、あの時なんでこんなことをしてしまったんだろう。
おれは過去にこんなに凄い努力や成果をしたんだぞ。という感じに...
言うなれば、ある意味”中庸”的な姿勢で捉えれば、過去は過去という事実として単純に考えることができると思います。
過去の自分も、現在の自分と異なる「別の一人の人間」です。別の人間と比較し過ぎて良いことは決してないと思ってます。
そもそも他人なのだから、崇拝し過ぎたり羨望し過ぎたり、はたまた卑下してみたり貶めてみたり...そんな行為は正直時間の無駄だし、今の自分にとって優しい行為とはかけ離れています。
今、世界はまさに過度期で、激動の日常の真っ只中にいる状態だと感じています。それは決してコロナの影響だけではなくて、情報社会の加速やテクノロジーの進化、人・物・お金のグローバル化の促進などに伴う社会のあり方そのものの変容が、今まさに起こっていることを拙いながらに感じているからでしょう。
過去のことや遠すぎる未来のことに脳のリソースを割くのは、精神的にも実践的にもあまりに勿体無い。今何がしたいのか、今何ができるのかを考えながら、ほんの少し先の未来に期待を抱いて生きていくくらいのスタンスが、今の僕にはちょうど良い。
過度な期待や過度な後悔も、もうやめた。
何を選ぶかではなくて、自分で選ぶことができたのかどうか。
明日の朝に飲むコーヒーは、きっと美味しい。
もう少しであの人に再会出来る、あとちょっとであの子に会える。
苦手だった曇り空やにわか雨も、最近は少しだけ許せるようになった。
うん、きっと僕の未来はそんなに暗くないよ、きっと。