ミニマリストにはまだなれないけれど
自分が関わる全ての物事には判断基準が存在している。
それは、今既に言語化できているもの、しようと思えばできるもの、今はまだ言語化できないもの、死ぬまで言語化できないものに大きく区分されるけれども、兎にも角にも存在するのだ。
ある物事について、良い/悪い、正しい/間違い、要る/要らない...自分ではそこまで意識していないことに対しても、ある一定の判断を行っていたりする。勿論、意識していることに対しても多くの判断をしている。
例えば食事にしてもそうだ。
お昼ご飯に何を食べよう...さっぱりしたものが食べたいなぁ。
(今日は昨日より気温が高い)
(昨日の晩ご飯は脂っこいものを食べた)
(炭水化物を多量に摂りたくない)
(うどん、そば、冷茶漬け、冷やし中華...)
うーん、じゃあ素麺にしようかなぁ。
たくさん考えやその他候補となるものを考え、判断して、その上で選択肢を切り捨て、選び取っている。その積み重ねであったり、自分で制約やルールを決めたりした後になって初めて、選択肢に対する思考リソースを割く必要が無くなる。そしてその浮いた分のリソースを別のことに割くことができるのである。
考える、思案する、判断する、選びとるを繰り返し、反復し、数をこなす。その一連の過程を通じて、ようやく意識せずとも自分にとって効率的・効果的な行動ができるようになるのかもしれないです。
『アオアシ / 小林有吾』の漫画の中で上の内容の件が取り上げられているので、ぜひ一度読んでみてほしい。真面目な話、今現在連載している漫画の中では断トツに好きな作品の一つである。めちゃくちゃお勧めです。
閑話休題。
んで、いつぞやのnote記事で書いたような気がするのだけど、今出来る限り日々物を減らすようにしています。
読まない本、着ない服、使わない道具を売る・捨てる・上げるようにして、それと引き換えに空間と身軽さを少しずつ手に入れることが出来ています。
物を捨てるかどうかについて考えると、その物の価値や役割について見直すことに繋がってくると感じています。
代表的な例としては洋服でしょう。その洋服を着たいのか、今後着ると感じているのか、似た洋服は持っているか、持っている全体量は多過ぎないか...その地点から出発して、自分にとってその物の価値や役割について改めて考えを巡らせる。総合的に検討して、残すのか捨てるのかを最終的に判断する。
ただその判断が必要な時間かどうかと言われたら、大きく首肯はできないと思うので、物は減らせるだけ減らした方が良いなぁとも思います笑
なので、今後は捨てるかどうかに関して考える時間を最大限減らしていきたいという目論見も含めて、着々と物を減らしにかかっている最中でございます。
ただ、一つ伝えておきたいことはミニマリストになりたい訳ではありません。
個人的には長く同じ物を使い続けたいし、ある程度の物を持ちたいと思っている人間だという自覚はあります。あくまで今の作業に関しては、今まで持ち過ぎていた物を減らしている過程に過ぎません。
物を減らすことに対してある種の快感を覚えられるようになってくると、自分の持ち物の選別が洗練されてくるような気がしているのでお勧めです。
持たない物かどうかを決める時に大切にしている考えは「いつか使うかもしれない=使わない」ということです。これは真理だと思います。笑
今まで使ってきてもう使わないもの、いつか使うかもしれないと思っているもの、使用不可の状態のものは即座に「持たない」にカテゴライズできるようになりました。
ミニマリストになりたい人もそうでない人も、自分の所有物を減らしてみてはいかがでしょうか。
さ、日曜日も間も無く終了です。
また明日から平日が始まるので、そろそろ皆さん、お休みなさい。
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