SNSという世界で、想うこと。
最近、わたしにとって大切な人が、SNS上でとても嫌な思いをされていて、想うことがあったので、ここにまとめます。
あなたは、世界はどうあるべきと思いますか?
例えば、地球温暖化。脱炭素とか。再生可能エネルギーに切り替えるべきとか。
例えば、世界平和の実現を一刻も早くすべきとか。核兵器は捨てた方がいいとか。
例えば、犬や猫を捨てるのは許せないとか。
例えば、捕鯨の問題だとか。
例えば、森林伐採だとか。
例えば、狩猟や畜産の問題とか。
例えば、海洋プラスチックの問題とか。
いろんなことがありますよね。
今上に挙げたこと、全部無関心って人もいると思います。
逆に、全部どうにかすべきだって思って、自分なりに活動しているよ!っていう人もいると思います。
わたしは多分、この日本で一番多いタイプなんじゃないかなと思っていますが、
「全部どうにかすべきだけど、どうしたら世界がいい方に変わるのか解らない」っていう人です。
「地球環境を劇的に改善して、世界平和を実現できて、誰も苦しまない・悲しまない方法があり、そのためにできることがあるならぜひとも教えてほしいし、努力したいが、そんな方法は現状見つかっていないと思うので、今は自分の人生を生きることで手いっぱい」という人間です。
まあできて、ごみの分別・リサイクルに出せるものは出す・節電節水……みたいな感じです。
少し前、某国家の偉い人を藁人形で呪った人がいたってニュースがあったじゃないですか。
そのニュースで、専門家の方がおっしゃってらしたんですが、人間って、自分の力ではどうしようもない、すぐに解決できないことがあると、すごいストレスなんですって。
自分の力で解決できないこと。戦争とかね。戦争反対!って思っても、戦場に神のように降臨して争いをとめるなんて、できないでしょ?
でも今すぐとめたい。でも無理。出来ることがあったとしても、少しずつ世論を変えていくしかない。でも、今すぐとめたい。それは無理……。
そういう状況ってすごいストレスなんですって。
このストレスから逃れるために、何かしら行動しないと耐えられないってなった結果、藁人形やっちゃったんじゃないかって分析されてて。
わたし個人的に、あ、解る! って思ったんですよ。
わたしもすごく怖かったけど、戦争なんて止められないしってすごく不安だったから。
あと、就職試験の合否とか、命に係わる病気かもしれない検査結果を待ってるときとか、結果が出るまで自分では何もできないあの期間。不安と恐怖、すごい辛いですよね。
母が脳腫瘍になったときも、自分じゃ治してあげられなくって、辛かったし。
今回、わたしの大切なフォロワーさんを攻撃した人たちのツイートやプロフィールを拝見しましたが、皆様「世界はこうあるべき」っていう目標をお持ちで、活動してらっしゃる方々なんだなと、思いました。
そして、その人たちの「こうあるべき世界」を実現するには、社会の仕組みから変える必要がある。そういう「世界」を目指していらっしゃる方々だと、思いました。
多分、自分が「こうあるべきだ」っていう世界が、今の世界の状況と違うとか、手の届かない場所で「あるまじき」行為が行われてることとかを知った人は、その「今すぐには自分では解決できない状況下ストレス」に負けて、相手の状況を一切考えずに攻撃しちゃうんじゃないか、と思ったんです。
パッと思いつく例でわかりやすそうなの考えてみたのですが、原発を止めようと思ったら、国を動かさないといけないと思いませんか?
でも、今すぐ国会に殴り込んで「原発止めてください」って叫んでも、国は動きませんよね?
今回のこともね、根幹はそのレベルなんですよ。
産業の在り方から考え直さないと、多分、わたしのフォロワさんを攻撃したひとたちの望む世界は、真には実現しません。
そこに気付いているかは、わかりませんが。
だから、自分の力では変わらないこの「あるまじき世界」を正したい気持ちが暴走して、現状、相手は何ら犯罪行為もしていないけど、自分たちの正義だけを基準にして断罪し、攻撃してしまっているんだと思います。
自分たちだけの正義を基準にして考えれば、有罪なわけだから攻撃されて当然だし、自分は正義の鉄槌を下す側なので、正しいことをしている、という感覚になってしまっているのではないかと。
この正義の鉄槌により、悪をくじき、世界は望ましい形へと一歩近づいている。って感覚に。
でもでも落ち着いて。考えて。
わたしの大切なフォロワさんは、犯罪行為をしてるわけでもなく、何ならわたしの地元では拝まれるくらい有難い存在なわけです。(あっ宗教関係じゃないっすよ)
法律に照らし合わせても、フォロワさんの周囲の環境を鑑みても、問題行動をしたわけでも何でもないんです。
何なら人違いっていうレベルだし。
自分と意見が合わない。世界が思う通りにならないからって、SNS上で誰かを攻撃して、世界は変わると思いますか?
変わるとしたら、自分の環境だけなんじゃないでしょうか。
攻撃された人と、その人を大切に想う人は当然、ストレスを感じて辛い想いをします。
最悪の場合、亡くなってしまう人が出てくるかもしれません。
攻撃をした人は、SNS上でその行為を見た第三者から「攻撃的なアカウント」「危険人物」と判断される可能性があります。
現実の知り合いだって、SNSで誰かを攻撃していることを知ったら「え?こわい。こんな人だったんだ」って離れていくかもしれません(るうさんなら離れます)
誹謗中傷を受けたとか、迷惑行為を受けたと訴えられて、裁判になる可能性だって、あるかもしれません。
もうこうなっちゃったら、どんなに崇高な活動をしていてもただの「怖い人」になっちゃいます。
そうなったら、世界を変えるのは難しくなる一方ですよ!
だってみんな「怖いから近づかないようにしよう」「見ちゃだめよ!」ってなっちゃうでしょ?
るうさん悲しいです。
あの人たちきっと、現実では普通にいい人ですよ。
SNSっていう匿名性に酔わされただけで、そんなに悪い人たちじゃないし、彼ら彼女らの主張だって、るうさんは議論されるべき主張であると思います。
でも、SNSで、全然知らない人を攻撃する人。怖いじゃないですか。
……怖い人になっちゃったじゃないですか。
結果「こういう思想の人は怖い人」ってなっちゃったら、十把一絡げで敬遠されちゃったら、大事な議論が十分になされなくなっちゃいますよ。
SNSって、インターネットって、現実世界にあるものですよ。現実ですよ。現実世界です。創作でも。仮想世界でもないです。
現実ですよ。
気付いてください。
相手は人間ですよ。
自分の力で世界を変えられないからって、自分にとって「あるまじき」行為をしていると思った誰かを攻撃して、亡きものとすることは、本当に、あなたの望む世界を創ることに、繋がりますか?
どうか落ち着いて考えて。
攻撃、必要ですか?
あなたの声に、耳をふさいでしまう人を、増やしていませんか?
議論をすることと、攻撃をすることは違います。
議論は大事だと思います。
いろんな意見や、考え方、あって当然であり、なかったら、世界が最悪の方向に転がり始めた時、止める手もありません。
だから、「世界はこうあるべき」と考えること、その実現のために活動することは、決して悪いことではないと思います。
だけど、その手段として、自分と違う考え方の人たちを、相手の置かれた状況、社会の形、仕組み、法律、すべてを無視して、ただ攻撃することは、悪手ではないでしょうか。
どうか、どうか、今一度立ち止まって考えてほしいです。
誰かを攻撃するのはやめて、あなたが望む世界にするために、まず変えるべきはどこなのかを考えてほしいと、切に願います。