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猫のいるカフェの物語を描きたい理由

少し前から、こちらでほそぼそイラストを描いて投稿している「猫のいるカフェの物語を描きたい」というシリーズなんですけども、

このシリーズを描きたいと思ったきっかけは、当時親しかったツイッターのフォロワーさんが「LGBTQ+」であるというカミングアウトをされたことがきっかけでした。

そのフォロワーさんは、既婚者で、お子さんもいらして、自分の体と心の性別が違っているのだと気付き、体と心の性別を近づけて行きたいと願ったとき、何よりお子さん関係のところで悩まれていました。

私自身、子供の頃から自他ともに認める「中性的」な外見の人間で。十代の頃は王子様みたいな格好が大好きでしたし、音楽は所謂ヴィジュアル系が好きでした。自分も友人も、特にファッションに関して、性別など関係なく、好きなものを着たらいいという考え…そんな環境で生きてきました。

だから、そのフォロワーさんが中性的な見た目を目指そうとしたときに、全然いいじゃない! と背中を押しに押しまくりました。

そして押している中で、ネット上でしか繋がりはないものの、創作活動をすごく応援してくれて、大切な存在であるそのフォロワーさんが、少しでも生きやすくなるように、私にできることはないだろうか…と考えたわけです。

そこで考えたのは、「性別を明記しないキャラクターが、中性的なお洋服で過ごす、性別にとらわれない日常の絵を描いて、定期的にSNSに投稿する」ということでした。

これが「猫のいるカフェの物語を描きたい」の原案です。

カフェの従業員であるルイとニア。この二人の日常をイラストで描いて投稿していこうと思っていたわけです。

でも、家族にそれをやってみようと思う、と話したところ「るうちゃんがそれをやる意味があるなら、やってもいいんじゃない?」という返事が来ました。

意味?

意味とは?

悩んでしまいました。

そも、私はLGBTQ+ではありません。

まあ、いろいろと少数派の人間ではあると思いますが、心身ともに女性ですし、夫は男性ですし、まあ、その、夫婦関係はかなり少数派で、LGBTQ+に若干かすってはいますが…

そんな程度の私が、いくら親しいフォロワーさんに感化されたからと言って、ルイとニアの性別を設定せずに中性的な絵を描いたところで、何のメッセージ性もなければ、逆にLGBTQ+で悩んでいる方々にとって「ひやかし」のように受け取られて終わるのではないか?_

そう思ったら、描けなくなってしまいました。

そのまままごまごして一体何ヶ月たったんでしょう?軽く一年たったんじゃないですかね?

その頃に、その、親しい、大切なフォロワーさんは、全てのSNSアカウントが消え、消息を絶ってしまわれました。

ショックでした。

私は、また、何もできなかった…になってしまったと、思いました。

なぜ、「また」何もできなかった…になってしまった…なんて変なことを考えたかといいますと、親族がうつ病になり、私にできることはないかと考え、でもきっと二十年も疎遠で、秋田と関東で離れていて、年齢も一回り以上離れて、こんな「私なんか」何も出来ないと思っていた一年後、亡くなってしまった…という経験があったからです。

もう、手遅れだけど、でも、ルイとニアの物語、描こうかな…と思ったんです。

もし、あのフォロワーさんが、るうさんのことをふっと思い出して、るうさんのこと検索してくれるとか、そんな奇跡が起こった時、見てもらえるように…

あわよくば、フォロワーさんに届くように。

フォロワーさんに出会えたことへの感謝と、私は今も、あなたを仲間だと思っているのですよ、という気持ちをこめて。

あ。で、なんで猫? 

というと、そのフォロワーさんが猫が好きなんです。

そんなわけで、描くことにしました。

不定期ですが、お付き合いいただけましたら、幸いです。