アートな一日と「今日の一冊」
6月某日、眩しい日差しの中、『美の鼓動・九州』クリエイター・アーカイブVol.4 「たいせつなあいまいさ」展を見に、福岡市東区にある九州産業大学美術館へ行ってきました。
JR九州鹿児島本線の「九産大前駅」で下車すれば、もう目の前。歩いて数分で到着です。
九州産業大学は文系・理学系・工学系・芸術系の9学部21学科からなり、「産学一如」を掲げる総合大学です。
九州産業大学では、芸術学部を中心に、美術、工芸、デザイン、写真など多くの美術作品を収集してきました。九州産業大学美術館は、これらのコレクションを大学の芸術教育研究に役立てるとともに、学外にも公開して地域の方々の楽しみと学習に資するため、2002年4月に開館しました。
大学が有する「ひと・もの・こと」を活用しながら、展覧会だけでなく、地域の方々を対象としたワークショップなどを実施し、地域の文化芸術振興に努めています。(九州産業大学美術館HP参照)
「美の鼓動・九州」は毎週日曜日、午前11時45分から放送されている、地元TNCテレビ西日本が制作するTV番組で、2015年の放送開始以来、延べ414人の九州で活躍するクリエーターの方が紹介されています(2023年6月10日現在)。
今回は2019年4月7日~2022年5月29日の間に放送された中から「たいせつなあいまいさ」をテーマに9人のクリエーターの作品が展示されています。
当社が大変お世話になっている(!)武田晋一さんの作品が展示されることもあり、ワクワクしながらお邪魔しました。
小島拓朗さんの作品。
実際には見たことがないはずなのに、何故かどこかで見たことのあるような既視感を覚える風景。「そもそも本当に見たことがないのか?」「そう記憶しているだけなのではないか?」自分の記憶の不確かさをどこかで感じてしまいました。
すうひゃん。さんの作品
この位の年齢の子どもたちから感じる無邪気さと、その反面どことなく反抗心のような形容しがたい感情の「揺れ」が、そしてほんの少しだけ怖さまでもが伝わってくるようでした。
中村公泰さんの作品
こちらの作品「Bus stop7」はバス停に集まる人と、去っていく人の足跡を記録したものだそう。バス停に集う人を、その姿として描かずに「足跡」として記録すること。視点が変われば受ける印象が大きく変わるものなのだと感じました。
篠崎理一郎さんの作品
パッと見て「???」、近づくにつれて「?!」、さらに寄って「!!!」
びっしりと濃密に描き込まれた作品に思わず見入ってまい、「これは建造物?」「これは風景?」と、気が付けば絵の中に入り込んでしまう自分がいました。
畑直幸さんの作品
深度合成という技術を使って作品を撮っているそうです。作品を見ていると、確かにこういう「色」と「形」で見えているはずなのに、何故かそれ以上のものを見ている様な気になりました。視界から入る「色」や「形」と記憶の中にある「既成概念」が結びついてその様に見せられているのか、そもそも自分の「視覚」は果たして正しいのか?そんなことを考えてしまった作品でした。
山本豊子さんの作品
まるで舞台装置の様な印象を受けた、ストーリー性のある展示でした。その世界観にすっぽりと入ってしまい「現実」と「空想」が入り乱れるという不思議な錯覚を覚えてしまいました。
前田信明さんの作品
垂直線と水平線を表現した作品。一見シンプルにも見えるのですが、作品の前に立つと、まるで迫ってくるかのような衝動に思わず息を詰めてしまいそうになります。が、同時に空間の広がりをも感じ、気が付くと何度も深呼吸をしている自分がいました。
浦川大志さんの作品
抽象画かと思ったのですが、作者の解説によると風景画とのこと。それはまるで「情報」という風景が具象化し、デジタル化されたならば、きっとこのようなものになるのかも知れない、と思わせるものでした。キャンパスから溢れ出てくる迫力に圧倒されます。
武田晋一さんの作品
「自然」とその「境界線」について考えさせられる作品でした。
自然界には「そこ」に生き物がいて、そして自由に「生きて」いて、人間が作った「境界」なんてものは気にせず、勿論そこには「可」か「否」かも存在せず、「自然」か「不自然か」なんてものも一切関係なく。
そもそもそれを区別しているのは人間だけで、私達が考える様々な「境界線」という定義は、正に私達人間が暮らしやすいように便宜上線引きされただけのものなのだと改めて実感しました。便利だから、という理由だけで一色くたにカテゴライズされ、そこからはみ出たものは「否」とされる現状。
もしかしたら、生物たちはそんな私達をみて、生き辛かろうと思っているのかもしれません。今回の展示テーマである「たいせつなあいまいさ」において、普段私達が日常使う「あいまい」という言葉。それはあまり良い意味合いでは使われない事が多いように思います。「あいまいな返事」「あいまいな対応」など、「YesかNoか」と明確な答えを重視する今の時代においては、特に敬遠される表現や態度ではないでしょうか。
1968年、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成は「美しい日本の私」というテーマで受賞記念講演を行いましたが、奇しくもその26年後に自身もノーベル文学賞を受賞する大江健三郎はこの川端康成の記念講演を「きわめて美しく、またきわめてあいまいなもの(vague)」と評しました。
そして、自身のノーベル文学賞記念講演の題目は「あいまいな(ambiguou)日本の私」です。
「あいまい」と日本語ではたった一言で表現されるこの言葉ですが、英語であればvague/ ambiguous /indefinite/fuzzy/uncertain/obscure……等、文脈によって様々に使い分けられます。そう考えると、「あいまい」という言葉は、実は「多様性」という意味合いを孕んでいるのではないかと感じずにはいられません。
この展示会の冒頭挨拶に『分かりやすいことが求められる現代社会において、白黒つけない、あいまいで中間的なものが見過ごされがちなような気がします。しかし、白と黒の間を成す無数のグレーのように、境界がさだめがたく、微妙な揺らぎをはらんでいるのが現実/リアリティーではないでしょうか』との一文が寄せられていました。私達の現実世界は今やコンピューターなくしては成り立たないものです。
そのコンピューターはあらゆる情報を「0と1」で扱います。しかしながらその「0と1」の「間」にあるもの。ファジィ理論でも研究される、その「間」はつまりは私達の思考の「余白」なのではないでしょうか。
「あいまいさ」を持つという事はすなわち「余白」を持つということ。その「あいまいさ」によって生み出される「余白」が様々な「多様性」につながり、更には自分自身の思考の構築にも繋がるのだと。そう考えると「あいまい」な事も「たいせつ」だな……そんな事を考えさせられた展示会でした。
「たいせつなあいまいさ」展は、2023年6月10日(土)~7月23日(日)までの会期です。ここでは紹介しきれなかった、見どころ満載の素晴らしい作品がたくさん展示されていますので、是非足を運んでみて下さい!
そして7月最初の「今日の一冊」。
今回、非常に興味深い作品を展示されていた武田晋一さん。当社からは『貝のふしぎ発見記』が出版されています。
「貝」と聞くと多くの人が「アサリ」などの二枚貝を連想するのかと思いますが、実は一口に「貝」といっても、その種類も形も様々なのです。「貝」は生き物の分類でいうと、「軟体動物」。
そう、つまりタコやイカも実は貝の仲間なのです。そしてなんとナメクジも!!そんな不思議な魅力がたくさん詰まった「貝」の秘密を是非この本で確かめてみて下さい!
読めば読むほど「貝」の奥深さに引き込まれること請け合いです!!