春が来れば救われる(秋田から神戸に来た話)
雪国の冬は長い。一足早く寒くなり、なかなか春はやって来ない。朝は寒いし暗いから、起きるのがつらい。朝登校する時は、吹雪に吹かれながら雪道をせっせと歩く。
私は秋田県で生まれ、高校卒業まで秋田で過ごした。
そして、高校の時に、自分は季節によって調子が左右されるのだと気づいた。勉強の成績も、部活の成績も、春から夏にかけて調子が上がり、その後調子が下がり始めるが、秋は夏の余韻で乗り切り、冬はただただ伸び悩む。そして精神的にもつらくなり、悶々とした日々を過ごす。
高校3年生になって、そのことをより意識するようになった。大学受験は冬に本番がある。1番調子が悪い時期に結果を出さなければならなかったからだ。
この時には、もっと暖かい所に住んでいれば、冬のつらさに悩まされることはないのに、と南の方に住む人をうらやみ、自分が秋田に住んでいることを恨んだ。
もちろん、雪国に住んでいても冬に結果を出す人なんていっぱいいるし、暖かい場所ならそれはそれで夏が厳しかったりするのだろうから、これは言い訳でしかないのだろう。
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そして去年の秋に、私は神戸に引っ越してきた。
神戸の冬は雪がなく、秋田ほど寒くはない。
そして春が来るのが早い。2月のうちに半袖で過ごせるくらい暖かい日があったのには驚いた。
それでもやはり、この年の冬も、私は調子が悪く、ふさぎがちだった。けれど年をまたぐ頃には、すぐに春は来ることのだと気づいた。早く春さえ来てしまえば、どうにでもなると思えるようになった。
実際に、私が思っていたよりも早く、春のきざしが見えた。そのおかげで、この冬はそんなに落ち込まないうちに立ち直ることができた。今までの悪いリズムから少し抜け出せたような感じがした。
けれど、それよりも重要なのは
春が来るだけでこんなに嬉しい
ということじゃないかと思う。
日本のどこに住んでいても、必ず春が来る。
季節によって調子が左右されるのは、融通がきかなくて不便だけれど、逆にとれば、
春さえ来てくれれば、それだけでいいのだ。
冬がどんなに辛かろうが、春が来れば何とかなってしまうのだ。
簡単なことなのだけれど、秋田を出て神戸に来てやっと、その事に気づくことが出来た。それだけで、私が神戸までやって来た意味があるのだと思う。
そういうことで、来年の冬からは、春さえ来れば大丈夫、と安心して過ごせる気がする。
今回の絵は秋田の田んぼと、冬の曇り空をイメージして描きました。
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