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大垣市で出会った「奥の細道」

 2025年の正月明け、高校時代の恩師に誘われて岐阜県大垣市を訪れました。大垣市といえば、関ヶ原の戦いで石田三成が本拠地とした「大垣城」の印象が強かったのですが、実際に訪れて驚かされたのは、松尾芭蕉ゆかりの地としての魅力でした。

 日本人なら誰でも松尾芭蕉「奥の細道」を知っていると思います。一方、中学校、高校の授業でその一部を学んだだけの人も少なくないのではないでしょうか。私もその一人です。この地が、「奥の細道むすびの地」であることを初めて知り、浅学の後悔にさいなまれると同時に、この大垣市での「奥の細道」との出会いに感動を覚えました。

 大垣市の中心部には、大垣城跡となる大垣公園があります。大垣城の天守や艮櫓は戦災で焼失しましたが、昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されています。外堀は水門川として一部が残っており、水門川は大垣城跡を取り囲むように流れています。この水門川沿いには全行程2,400 kmの「奥の細道」を模した「ミニ奥の細道」があり、2.2 kmの道のりに芭蕉の句碑22基が建てられてます。

 今回の訪問では、JR大垣駅からスタートし、始めに大垣城を目指しました。大垣駅通りを貫けて大垣城東門より天守閣を仰ぎ見ながら城内に入りました。

東門からの大垣城

城内はこじんまりとした印象でしたが、優美な天守がそびえ、石垣から落ちる滝が配されていました。

天守への階段           麋城の滝(人工)

西門を出ると大垣公園の西側からは2億5千万前の化石の入った石灰岩の石垣と天守を一緒に眺めることができます。

大垣城と西門

 大垣公園を抜け、郷土館を経て水門川に出ました。川沿いをしばらく歩くと、水と緑の憩いの場として知られる「四季の広場」にたどり着きました。

敦賀「名月や北国日和定めなき」句碑

そこには、芭蕉が「敦賀」で詠んだ句が刻まれた句碑が建てられていました。

四季の広場

 「四季の広場」は親水公園として整備されており、人工の滝や虹の橋などがあります。清流には大きな鯉が泳ぎ、多くのカモが水辺で戯れている姿が見られ、その穏やかな光景に心が和みました。

 さらに川を下ると国名勝「おくのほそ道の景勝地 大垣船町川湊」に到着しました。この場所 、芭蕉が元禄2年(1689年)の秋、約5か月の旅を終えた「むすびの地」となります。

船町湊跡

芭蕉は、ここで「蛤のふたみに別行秋ぞ」とむすびの句を詠んで、船に乗っって伊勢に向かったのです。

露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ國へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より來り合、越人も馬をとばせて如行が家に入集る。前川子・六荊口父子、其外したしき人々 日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の宮おがまんと、又舟にのりて、

蛤のふたみにわかれ行ゆく秋ぞ

「おくのほそ道」岩波文庫、岩波書店、1957(昭和32)年2月25日
蛤塚

 蛤塚の横には、芭蕉および同門の大垣在住の友人谷木因の像が建てられています。

芭蕉翁と木因翁

 蛤塚の道を挟んだ向かい側に2012年4月にオープンした「奥の細道むすびの地記念館」があります。

「奥の細道むすびの地記念館」の外観

奥の細道むすびの地記念館では、大迫力の200インチスクリーンでの3D映像や、ゆかりの資料、ジオラマなどで松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』を辿る芭蕉館、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した大垣ゆかりの5人の先賢を紹介する先賢館での常設展示のほか、大垣市と西美濃地域の観光情報などを紹介する観光交流館があります。

大垣市奥の細道むすびの地記念館HP

 この記念館では、発端から大垣までの句を解説付きで楽しむことができるとても魅力的な資料館だと思いました。ぜひ一度訪問されてはいかがでしょうか。

 今回の「奥の細道」と出会いは、大きな刺激となりました。どの句にも深い味わいがあり、その魅力に改めて気づかされました。
 むすびの句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」の中には、とても深い意味合いが込められていることを知りました。「蛤のふたみ」には「蛤」の「蓋」と「身」に地名の「二見」を掛けていて、伊勢へ向かう自分と大垣の「したしき人々」の別れを「蓋と身」の離れがたいものが離れるさまを比喩しているとのことです。「行」は「別れ行く」と「行秋」の両方に掛けています。「行秋ぞ」は「奥の細道」旅立ちの「千住」での発句「行春や鳥啼魚の目は泪」に呼応しています。

 今回の啓発を大切に「奥の細道」を最初から学び、じっくりと味わいながら、その学びを人生の豊かさへとつなげていきたいと思います。

 


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