県外サポーターは迷惑?

私はあんまり、今この話題がサッカー界隈でよく出てるのは知らなかったんだけど、「最近『県外サポーターなんて迷惑だ』っていう人の意見を見聞きするんだけど、Nikoはどう思う?」と知り合いに聞かれて気になった。


スタジアムに試合を見に行けば、そこのスタジアムのルールは守るべきだし、ホームでもアウェイでも、主催側の指示や意向にはちゃんと耳を傾けないといけない、それはもちろん大前提としてそう思う。

だけど、「地元のチームのサポーターになるべき」「ユニフォームを着てる人が熱心なサポーター」「応援とはこういうもの」というようなそれぞれ個人によって分かれる主張は、その人自身がそう思うのは自由でも、周りにそれを強制したり、自分の意見を世間一般の意見のように決めつけることは、私個人的には疑問を感じる。


私は遠方ベルマーレサポーターで、湘南地域をもうひとつのふるさとだと思いながらも、実際にはそうそう頻繁に“帰省”はできずにいる。

サッカーとベルマーレを愛する人間として、ベルマーレの場に足を運んで試合の空間をチームと共有できてるかどうかという意味では、決して恵まれた環境にはいないと思う。


それでも、私は恵まれてると自分では思ってる。

それはなぜなのか。

まず、地元にもJリーグチームがありながら(ちなみにそのチームも好き)ベルサポの私を、地元のみんなは本当に温かい目で見守ってくれるから。

「おーーー!湘南ーーー!!」と、コロナ禍前は突然地元の街なかで知らない人から叫ばれたこともあるし(笑)、おそらく珍しい存在ではある。

「生まれて初めてベルサポを見た」と言う人もいるし、「親のどっちかが湘南地域の人なの?」ともよく聞かれる。

親のどっちもが地元の人だと答えると「親の仕事か何かで湘南に住んでたとか?」と続く。

「住んだことはまだ一回もないけど、私にとってはもうひとつのふるさとなんだ」と私はいつも答える。人によっては、もともとの繋がりもなく住んだこともないまちがもうひとつのふるさと?と意味が分からないと感じる人もいると思う。


感覚的には、よく分からない、いまいち理解できないと思う人のほうが多いのかもしれない。前にサッカー本を読んでた時も、「今は地元にチームがあって自分のまちの名前をチャントで連呼できるけど(※コロナ禍前の話です)、地元でも何でもないまちの名前を愛着を持って呼べと言われてもそんなの無理だ」と言ってる他チームサポーターさんがいた。

何が正しい、何が間違いとかの話ではなくて、大多数の感覚としてはきっとこの考えの人のほうが多いんだろう。


私は「それでも自分は恵まれてる」と書いたけど、それは地元や、もともとはよそ者のはずの私を、まるで同じ地元の人のように受け入れてくれる湘南地域のみんなの温かさのおかげで、親の仕事の都合でこれまでに住んできたまちでは、ちょっとここには書けないような驚く出来事もあった。

少しだけ書くと、ベルサポというだけで物を投げつけられたり、いじめられたり、そういうようなこと。


私は海外にとても詳しいわけではない。それでも、日本の、特に若い世代では「みんなと同じ考えや好みだと安心」というような風潮が大きいように感じる。

みんなと同じような物を着る、みんなと同じような物を持つ、みんなと同じような流行りを好きになる、もし本当の好みはそうではなくても、学校や仕事場ではなんとなくそれは言わずに隠す…、みんなと違うのは恥ずかしい、みんなと違ったら仲間外れにされても仕方ない、いじめられてもその人に原因がある…果たしてそうだろうか。


私は転校生というだけで、もう他の子とは違った。学校指定の物も、前の学校の物を使っていい場合はクラスメイトとは違う持ち物を持ってたし、新しい学校に行けば教科書も学校内の習慣も何もかも違った。

好きで転校生をしてたわけじゃないけど、じゃあせめて他の部分では“普通の”子であれば、攻撃が向いてくることも最低限で済んだのかもしれない。


これは普通とか、それは普通じゃないとか言いたくないけど、人は大多数の物を普通と呼び、その輪の中に入って安全に暮らしたいと思うものなのかもしれない。


個性に関係なく、空気を読むのが必要な場合も確かにあって、そういう時は人に合わせる協調性も大事だと思う。

でも、ベルマーレの服を着てるから物を投げていいわけじゃないし、ベルサポが学校内、地域内にたとえ一人でも、その子をいじめていい理由にはならない。

合わせることが必要な場面での協調性と、少人数派はいじめられても除外されても傷つけられても仕方ないというのは、全く別の話だと思う。


大人になって、学校とかの狭い枠から抜け出して生きる年齢になってもまだなお、少人数派は生きにくい存在なんだなと感じてしまったことは、正直とても悲しい。


ポスター貼り、チラシ配り、座席拭きなどのボランティアは、基本的にチームのホームタウンに住んでるサポーターしか実質的に参加は難しい。

「明日の朝10時に来れる人ー!」と言われて、用事を全て他の日に回して新幹線や飛行機で駆けつけるのは、現実的に厳しい。

だから、ベルマーレでボランティアが必要な場面…例えば台風で馬入(練習場)が冠水してしまった時のヘドロのかき出しなども含めて、私は遠方で参加できないのを心から申し訳ないと思ってるし、そういうボランティアを進んでしてくれてる地元ベルサポさんには、これまでもこれからも頭が上がらないと思ってる。

LTO(試合後のゴミ拾い)もそうだ。参加したい気持ちがどんなにあっても、帰りの公共交通機関の時間の関係とかで、どうしても時間的余裕がない時も多い。

いつも心の中で「ごめんなさい、みんなありがとう」と手を合わせてる。


ベルマーレにはチームの存続危機もあったけど、そういう時に実際にチームのために動けるのも、地元サポならではだと思う。

当時「いくら遠くから応援してたって、こういう時に直接的に力になれないんじゃ、サポーターとは言えないよ」と言ってる人がいたのを知ったけど、切羽詰まった状況ではそれは正論なのかもしれない。

祈るだけ、願うだけではベルマーレは存続できなかった。次の年もベルマーレとして闘っていけるだけの資金や、チームとして成り立たせるためのいろいろな準備が必要だったのも、大人になった今なら特によく分かる。

そのことを知った時と、私の地元の地名を聞いて「あー、〇〇か。そこのチームのサポーターで嫌な思いしたから、悪いけどその町嫌いだわ」と言われてしまった時は、このままベルサポを続けててもいいのかな?湘南を大好きで愛してるのは、結局自分の独りよがりの片思いなのかもしれないなと、ちょっとだけ自信がなくなってしまったりもした。


J1、J2、J3。

私が子どもの頃と比べて、最近は本当にJリーグクラブが増えた。これまでは遠くのチームのサポーターをしてた人でも、地元にチームができたから…と、地元のチームのサポーターに移る、または兼任する人もいると思う。

「応援するチームは一つじゃないと!」「複数のチームを応援するなんてありえない」という意見がそこでまた出てくるのも知ってるけど、それこそ違うチームのユニフォーム着てタオマフ回して行くわけじゃなければ、その人の考えはそれぞれであり、自由な気がする。

私は恋愛に本当に一途で、その分要領が悪いと自覚してる(今時そこまでまっすぐで一途な人もいるんだねと、半ば同世代に笑われる…苦笑)。だけど、恋愛で二股をかけてるのと、複数チームを応援してるのはまた別物で、どちらかを裏切ってるわけじゃないと私は思うから。

もともとサポーターをしてるチームがある。そして、個人的にものすごく大好きな選手がいて、その選手は違うチームでプレーしてる。

そんな場合に、もともとサポーターをしてるチーム以外には絶対に行かないという人もいれば、その選手を同じ空間で応援したいと思う人もいるだろう。それはどっちが正しいとかじゃなくて、その人の心にあるものがその人にとっての答えなんじゃないのかな。


「本当に好きなのはベルマーレだよ。でも正直弱くてなかなか勝てないじゃん?だから普段表向きに応援してるのはフロンターレ」とある時言われたのには、苦笑いするしかなかったけど…、ベルマーレも誰も好きで負けてるわけじゃないし、勝つために一生懸命なんだけどなあ。


チーム数が増える→地元にJクラブがある確率も上がる→地元に住むサポーターが増える

この図式はJリーグ百年構想が目指す一つの形とも言えるだろう。私がJリーグと出会った頃に比べても、「サポーターの大多数は地元人(現在その町に住んでる人含む)」というのを大前提として考えてるクラブが増えたと感じる。


試合やイベントに来てもらうためには付加価値が要るんだろう。試合だと、そのスタジアム内で実際にプレーを見られるだけで私は大感動だけど…、そこに行った人だけが買えるグッズとか、もらえる何かとか、抽選で当たる賞品があるとか。地元のイベントに選手が来てサイン会をするなども、遠方サポだとまず参加できない大きな壁の一つだ。コロナ禍前から、選手と直接接する機会はかなり限られるし、サインをもらえることも本当に少ない。

移籍が多いサッカー界では、そうこう言ってるうちに選手は違うチームに移籍してしまう。私がベルマーレで特定の選手の背番号をなるべく着ないのも、特定の選手に特別注目するのをなんとなく避けるのも、深い思い入れを持てば持つほどベルマーレから離れてしまった時に悲しいのを分かってるから。


前にサッカー関係の場所に行った時、大きな荷物を持って来てた人たちがそこにいた選手に向かって「私たちは〇〇(遠い地域の地名)から来たんです!だからまず一番にサインをください」と言ってるのを見たことがある。


遠くから応援してるのは事実でも、それは自分の意志。選手の側が何かでその人が遠くから来てるのを知って、プラスアルファの接し方をするのはその選手の自由でも、自分のほうから「遠くから来てるから」と周りとは違う対応を求めるのは違うと思う。遠方サポーターは迷惑だと言う人は、もしかしたらそういう場面に出くわして、遠方サポーター全体に悪い印象を持って嫌いになってしまったのかもしれない。


だけど、そういう遠方サポーターはごく一部で、ほとんどの人たちはたとえ遠くても、なかなか応援には行けなかったとしても、できる範囲の全力でそのチームやホームタウンを本当に大切に思ってる人たちだと、ほんの少しでも伝われば嬉しい。


いろんな考えがあるのは分かるし、いろんな考えがあっていいとは思うけど、自分と立場が違うからといって「迷惑」と言ってしまうのは、同じサッカーの輪の中に生きる同士として、あまりにも冷たく寂しいと私には感じられる。


「自分はずっと地元サポだ。だから県外のサポになることはない」と思ってても、何かの事情でその人だって県外サポ、遠方サポになる可能性だってある。

その時に、そのチームの地元サポから「県外サポは迷惑」だと断言されたら…?

本当にそのチームを大好きなら、きっと誰もが心が痛くなると思う。

立場は違っても、環境は違っても、同じものを好きというのは共通してるはずなのになあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?