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2024-10-07【Patent as a roadblock for innovation】

AMEDは定期的に支援するプロジェクトの研究者たちを招いて、研究交流会を開催しています。先週、わたしはその交流会で、「どうする?!にほんのゲノム編集」と題したパネル討議に登壇しました。CRISPR Cas9を巡る特許問題が、日本のゲノム編集技術の開発にどのような影響を与え、回避できるのかを討議することを意図したものでした。知財の専門家でもなく、企業で細胞遺伝子治療薬の取引を担当しているわけでもない門外漢の私が、いったいなぜこの討論会に呼ばれたのか不思議に思い、またいつものように場違いな気分満載で臨みました。

とは言いながらも、一旦お誘いいただいたからには、知財はなにも存じ上げませんでは申し訳ないので、知り合いの知財専門家にお願いしてCas9周りの情報を一通り事前にさらってみました。Editas社、Intellia Therapeutics社、CRISPR Therapeutics社の3社がCRISPR Cas9の知財保有者であり、いくつかの独占ライセンスは重複しています(法定係争中)。過去10年で独占・非独占ライセンスがノバルティス社、Vertex社、Juno社、Regeneron社らと取引されており、アップフロント支払いとして1,000万ドルから1億ドル、成功時のマイルストーン支払いで数億ドル、そして上市後に一製品あたり一桁から2桁台前半のロイヤリティとなっています。開発成功時に後回しにすることで事前支払い額は抑えることができるものの、特に大学研究者やスタートアップにとっては高すぎる金額に思えます。イノベーションの基盤であるべき知財保護がその障害となっているのです。では大企業はこうした取引に尻込みしているのでしょうか?どうもそうではなさそうです。

Vertex社によって開発されたCasgevyをすこし掘り下げてみましょう。CRISPR Cas9技術によってBCL11A遺伝子を編集した自家CD34+ヒト造血幹細胞による細胞遺伝子治療です。昨年末より鎌形赤血球貧血症やβサラセミアの適応症で承認されています。この一回きりの治療は約220万ドルであり、年間ピーク売上高は10-40億ドルに上ります*。この巨大な売上予測の前では、上記の取引は十分フェアであり、高額の支払いによって企業が開発を控えるということはなさそうです。結局、知財がイノベーションの障害になるかどうかは、その製品の成長可能性によるのです。

ただ、会場の論調はこうした知財交渉を避けるために、日本発の技術を生かすべきだというものでした。登壇者の一人、東京大学医科学研究所教授の真下先生は、Cas9を巡る知財問題を回避できる手段として、彼の開発しているCas3技術を紹介されました。この技術はCas9よりも大きなサイズの遺伝子挿入を可能にし、オフターゲット変異も少ないという技術的優位性を持ちます(本稿2023年9月25日号参照)。またCas3で開発を進めれば、後々Cas9関連の知財侵害で莫大な特許料を支払うリスクは少なく、開発コストを低減できるでしょう。ただわたしはこの考え方は真逆だと思います。製品開発戦略が先にありきのはずです。Cas3技術を生かすことで、これまで製品開発がうまく進まなかった疾患領域に、新たな道を切り開くことができる可能性があります。ではCas3の技術的優位性から、どのような魅力的な製品を生むことができるのか?その製品は世界の治療戦略パラダイムを変えることができるのか?そのような戦略が定まってから、知財の専門家とともにFTOを隈なく調べ、どこで独自の知財を生むのか、どの既存知財保有者と提携するのかを検討すべきだと思います。

また議論の中では、First-in-Classの薬は開発してしまえば倫理的配慮から特許侵害を問われる可能性は少なく、Best-in-Classでは差し止めの懸念がある、だからFirst-in-Classを目指すべきだというような指摘もなされました。しかし世界的な競争のなかで最終的にどちらになるかを最初から見通すことは困難です。よいニュースとしては、大学における試験・研究の範囲では、特許法により知財の権利行使が免責されており、本来新技術の開発は上記の議論とは無縁なことです。

問題は製品開発を行うスタートアップです。特に市場の見通しが立たない(超)希少疾患の治療法を開発する場合、彼らが金銭的に取れるリスクは非常に小さくなります。これまで議論した知財リスクの低い技術を使うこと以外に、彼らには2つの選択肢があります。ひとつは、対象患者を世界に広げることです。日本オンリーの開発は、特に希少疾患では商業的に持続可能ではありません。もうひとつは、独自の技術を応用して次々に適応症を横展開し、市場での製品価値を高める戦略を立てることです。このアプローチの典型的な例は、複数の希少疾患に対するアンチセンスオリゴ核酸薬の開発に見られます。大企業は、製品成長の可能性が十分に膨らめば、知財の問題をあまり気にしなくなるでしょう。

Cas9に関しては、アメリカにおける行き過ぎたアカデミアの商業化が、ライセンシングコストは跳ね上げて、世界の大学とスタートアップとの関係に大きな影響を与えています。遺伝子編集を始めとした創薬技術が世界化し、ライセンス取引も世界化しているなかで、日本のスタートアップや彼らが開発する製品技術も同じ世界の土俵に位置づけないと、世界の資本主義のひずみに落ち込んでしまうでしょう。創薬エコシステムを世界とつなげなければいけないのです。

*パネル討議では、わたしは古いメディア報告の不正確な見積もりに基づいて、100億ドルという誤った数字をお伝えしてしまいました。ここで最近の評価に基づいた数字に訂正させていただきます

来週は祝日のため連載をお休みします。


夏山の思い出