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【特急湘南26号 Vol.14】同じ車両にいるおじさんに「髪の分け目変えました?」と聞いてみる
いつものように、午前8時11分藤沢駅発の特急湘南26号に乗って、渋谷へと向かう。僕の居場所は相変わらず3号車8番のA席。車内のいつメンたちとともに過ごしているのだが、知らないヒトたちなので今のところ交流は一切ない。
風が吹けば桶屋が儲かり、風が強いと京葉線が止まる
ここ数日間、風がとても強かった。藤沢駅に向かう途中もバチバチと風が身体に当たった。朝、サーフィンに行っても波が安定していなくて入るのをあきらめたこともあった。かつて、京葉線を利用していたことがある。東京駅を出発し、千葉へと向かう路線だ。京葉線は強風だと止まってしまう列車として有名だ。何度、止まったことか。しかし特急湘南はそんな強風にも負けることなく走ってくれる。ありがたい。
同じ車両にいつも座っている7:3分けの髪型をした50代くらいのおじさんが今日は3:7分け、すなわち髪の分け目がいつもと逆だった。風の噂に聞いたわけではない。この目で確認したらそうだった。おそらく風のせいでこうなったのだろう。彼が会社で髪の分け目を気にされることなどたぶんない。部下も上司も気にしていないだろう。だが、気にしている人は確実にここにひとりいることは知って欲しい。僕はずっと見ている。
僕は以前、自分が勤めていた会社の上司がよく机で爆睡していたので、その日の天気や寝ている時間をメモっていた。こんな定点観測好きの僕と同じ車両にいるのもなにかの縁だ。「髪、切りましたね?」などと他人に聞かれることなどないであろうおじさんが、ここで「髪の分け目を変えましたよね?」と聞かれたらどんな反応をするのだろうか。僕のことをなんでも褒めがちなアメリカ人だと思うだろうか。
喋ったことのない人にスマートになにかを伝える方法
僕は考えていた。どうやってスマートにあのおじさんに「髪の分け目を変えましたよね?」と伝えればよいかを。今、この席でちょっと伸びをした瞬間に「あ〜わけめかえた」とさりげなく言ってみようか。いや、電車で声を出して伸びをするようなおじさんにはなりたくない。そもそも僕は独り言すら言わないタイプの人間だ。
その1:モールツ信号を使ってみる
モールツ信号はどうだろうか。やり方がわからないのでChatGPTに聞いてみよう。
モールツ信号(Morse code)は、長い音(ダッシュ)と短い音(ドット)の組み合わせで文字を表現する通信手段です。日本語の文章をモールツ信号で表現するのは少し複雑ですが、簡単なフレーズなら伝えることができます。
「あなたは髪の分け目を変えましたね」をモールツ信号で表現する場合、以下のような変換が考えられます。ただし、モールツ信号は英字に特化しているため、日本語の各文字を変換する際には工夫が必要です。
例:
あ: ・-
な: -・-・
た: -・
は: -・・・
ゆ: ・--
は: -・・・
い: ・・
む: --
ね: ・--・
こ: ---・
え: ・
ま: --
を: ---
上記の変換を使って、「あなたは髪の分け目を変えましたね」というフレーズをモールツ信号で表現すると、次のようになります。
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まったく理解できなかった。
「モールツ信号は英字に特化しているため、日本語の各文字を変換する際には工夫が必要です」とのことだったので、you changed the parting of your hairをモールツ信号に変換するとどうなるか聞いたのだが、
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これも理解できなかった。そもそもあのおじさんがこれを理解できるとも思えない。完全に失敗だ。
その2:手旗信号を使ってみる
手旗信号はどうだろうか。その昔、僕はボーイスカウトに所属していたことがある。僕の母は物持ちがとてもよいので、実家の奥底にきっとあの頃に使っていた手旗がしまってあるかもしれない。
……だめだ。今ここになくてはだめなんだ。あと、そもそも手旗信号を覚えていないし、もしここでやったとて、右斜め後ろの少年が反応するだけだろう。そして隣に座っているお母さんから「見ちゃだめよ」と注意されるだろう。ああ、僕もそんな感じで公共機関で不審者扱いされるような人間になってしまったのか。あの頃「あいつやべえな」という目で見てた大人に自分がなってしまったのか。
その3:エアドロップでメモを送る
モールツ信号、手旗信号って、なんで自分はそんなオールドスタイルな発想なのだろうか。今のご時世、エアドロップがあるではないか。早速iPhoneのメモに「髪の分け目を変えましたよね?」と打ち、それを共有すべく「AirDrop」をタップした。はたしてあのおじさんはどのiPhoneだろう? それっぽい名前が出てこない。まさかこの「にゃんこのiPhone」ではあるまいな。なかなか特定しきれない。簡単に共有できるはずなのに、肝心の相手がわからない。これはお手上げだ。
気づけば渋谷駅に着いてしまった。どうやらおじさんも降りるらしい。僕は彼の後ろにぴったりとつき、聴こえないくらいの小声で「髪の分け目を変えましたね」と呟いた。ドラマ『ロングバケーション』の最終回で木村拓哉が山口智子に「サンキュ」って言ったくらいの声で。いや、もっと小さかったかも。たぶん聴こえてないだろうし。
こうして僕は明日も知らないヒトたちと一緒に渋谷を目指し、夜になると藤沢に帰るのだ。