道に落ちてる食べ物は食べないのに、 ネットに落ちてる情報はすぐ鵜呑みにしちゃう不思議
道に落ちてる食べ物は食べないのに、
ネットに落ちてる情報はすぐ鵜呑みにしちゃう。
スーパーの棚でも、値段・賞味期限・原料・生産地とか気にするさーね。
以前書いたモンスター組織の記事で、組織がうまく機能していない時に疑うべき症状の一つとしてとして「ゴシップ蔓延病」がありました。
そこで、「道に落ちてる食べ物は食べないのに、ネットに落ちてる情報はすぐ鵜呑みにしちゃう」という例えがわかりやすいという、ありがたい言葉をいくつかの方面から頂いたので、もうちょっと掘り下げてみようと思いました。
情報と食品の選び方は似てる?
情報の選び方と食品の選び方は通じるものがあるなーと思います。
生産加工流通という供給の視点と、消費と言う需要の視点かな?
両方とも体に取り入れて自分の糧にするっていう点かな?
そう考えると、食品を選ぶように情報も選ばないといけないなって、直感的に理解できる気がするんです。
情報の要素を食品に置き換える
こんな感じかな?
事実・根拠 → 原料
ソース → 生産地
発信日 → 賞味期限
発信者 → 製造者
信頼度 → ブランド≒値段
いかがでしょうか。なかなかわかりやすいんじゃない?
これらを気にするだけで情報の選び方は変わると思んです。たぶん。
スーパーのおばちゃんみたいに比較検討が大事
最近は肉バルとかヴィーガン系のように趣向をハッキリさせたお店も増えてきた。自分はどっちも好きだし、それぞれ違いがあって楽しい。
自分と妻は外食が好きで、結構外食します。
私達夫婦にとっての外食の楽しみ方は、その店の趣向(コンセプト)や手段(プレゼンテーション)を、他と比べて自分たちはどう思うかと話す事です。(単純に美味しい料理とお酒が好きでもありますが)
こう改めて考えると、食も情報も
「全体を意識しつつ、誰がどういう事を目的に何をどうやって伝えている(提供している)」という事を、一旦受け取って、横に置き、他のものと並べて、並べたものを俯瞰し、比較して、自分で考えて、選ぶっていうスタンスで楽しむことが大事なんだなーと思いました。
スーパーの陳列棚で真剣な顔で買い物をしているおばちゃんみたいな感じにね。
大して好きでもないものをついつい食べ過ぎちゃうのもたまにはいいと思います。