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小説感想『生きてるだけで、愛』

本谷有希子さんの小説です。

久々に、読んでいて感情を露わにしてしまうような作品でした。

怒り?

怒りのような感情が湧き出てくるのには驚きました。ただし、それは怒りと呼んでしまうには新鮮な感覚で、なんというか、自分が持っている醜さが膿となって脳に吐き出されている感じです。

というのも、今作は精神に病を抱える主人公が生きていく話なのですが、僕はどうして彼女と違って会社に時間通りにちゃんと行き、人間関係にモヤモヤしながら頑張り、「普通」と呼ばれる生活になるよう努力しているのかがわからなくなりました。バイトをばっくれて、突然暴れ出して、キレて、部屋にこもる主人公が、疎ましく感じたのかもしれません。「普通」とは程遠い彼女でしたが、「普通」の人よりよっぽど生きている、という感じがしました。つまり、「普通」を生きている僕は、惨めで哀れな存在となりますね。

そんな彼女への嫉妬のような気持ちを覆い隠すように、僕は彼女を見下しました。病気だから仕方がない、と思い、それ自体が彼女を見下している証拠なんだと実感しました。どこにいっても上手くいかない彼女のことを、哀れに思いました。

その二つが混ざり混ざって、彼女に対して怒りに近い感情を抱いたのかもしれません。なんで一つのことを続けられないのか、なんでほんの些細なきっかけで感情が揺らぎ、バイト中に抜け出して車のボンネットの上に乗ってしまうのか。どうして、どうして、どうして、と彼女の思考回路にいちいち文句をつけて、自分を正当化している気になっていきます。

同時に、これまた不思議な話ですが、彼女の行動に納得ができたり、彼女の感情に何故か共感している自分も発見しました。疎ましく感じるのも、共感を抱いているからなのでしょうか。この部分が一緒だ、というわけではなく、ぼんやりと、ころころと変わる主人公の思考回路が、妙に僕の思考回路と繋がる感覚を得て、人間っていうのは、みんなおかしいんだな、と笑い飛ばしたくなりました。心底「普通」な人なんてこの世にはおらず、ある意味理想である「普通」を皆で追いかけているだけではないかと、心が少し楽になったのも事実です。

完成度が高い

感情の流れというのは、一直線でもなければ、理路整然としているものではないと、この小説を読むと強く感じます。何故なら、主人公の思考回路は全く辻褄が合っておらず、ブレーカーが落ちた話を考えているかと思いきや、松岡修三の話を考えています。でも、それで納得してしまう部分があるんです。その感情の動きが理解できるからこそ怒りを感じる部分があるんです。

感情は本当に繊細で、入り乱れていて、宇宙よりも深く謎だらけだと感じまず。病気とかは関係なく、いや、言ってしまえば、生きている人間が何かしらの病気です。病気でない脳なんてありません。正解はないですし、僕たちが「正解だ」とか「成功者」と思う人なんて所詮、病に侵された僕たちが思っているだけの、なんのあてにもならない指標です。

そう考えると、脈絡がなくて申し訳ありませんが、確かに「生きているだけで、愛」だなぁ、とタイトルに納得する地点に帰着します。

繋がっていないようで繋がっている、でも繋がっていない、不思議かつ、的確な小説でした。

正直圧倒されています。

最近、小説の魅力は、適当でもいいこと、だと思うようになっています。

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