近畿をぶらつく④ 京都紅葉
今年は夏がいつまでも居座ったせいで、秋が短縮された他、木々も夏バテを起こして紅葉が遅れていきましたね。
秋が短縮されるということは紅葉が起こらないのではないかと悪い妄想もしていましたが、11月末から、各地で紅葉が見ごろを迎えて一安心しました。紅葉が遅れて、結果的に僕たちの旅行の日程とピークも被ったので、地球温暖化の深刻な問題を一度頭の隅に置いておくと、今年もいい四季の変化が訪れたと感じます。
① バス
さて、そんなわけで、開始から幸福感に満たされた紅葉デートの模様を饒舌に語ろうかと思ったのですが、紅葉がもたらすものはいいことばかりではないと、僕はこの日の最初に思い知らされることになりました。
紅葉といえば京都、ということで、僕たちは土曜日に京都に行きました。するとどうでしょう、あらゆる日本人が、いやあらゆる国の人間たちが、同じことを考えていました。紅葉を見に行くなら京都だろう、と。仕事が休みだから土曜日に行こう、と。
バスの中は、紅葉を目指す観光客でごった返していました。ごった返す、という表現だと、まだスペースがあるような気がします。実際は、人と人が折り重なり、コップにめいっぱい注いだ水が表面張力で浮き出ている、くらいにバスの中は飽和していました。人と人がひしめき合い、バス停が来るたびに「誰か降りろ!」と全員が心の中で願いますが、むしろ人が入ってくるばかりで、期待が打ち砕かれます。人が入りすぎてバスのドアが閉められず運転手さんは半ギレ状態でした。
様々な人種が詰め込まれたバスは、まさに人種のサラダボウルと言えましょう。うんざりでした。全員バスから追い出して、僕が運転してやろうかと考えてしまう程苦しかったです。
②南禅寺
バスを降り、新鮮な空気を吸いました。なんとか命はつなぎとめたようです。文句ばかり言っていますが、京都のバスは本当に有能で、行きたいと思う観光地にはほとんどバスさえ乗れば行けますし、大きいバス停にはガイドさんがいるので、どこどこに行きたいと言っただけで、どのバスに乗ればいいか教えてくれます。すごい。
真っ赤に染まった紅葉が出迎えてくれました。
僕たちが行ったのは、臨済宗の南禅寺という場所です。
南禅寺といっても大きな境内を持っているので、全てに足を運ぶことはしませんでした。僕たちは、仏道修行で悟りに達するまでに通らなければならない三つの関門を現す、三門に向かいました。三門は日本三大門の一つと呼ばれる壮大な門ですが、なんと上層の楼に昇れるのです。(お金はかかりますけどね)
階段が極めて急で、足腰が弱い人にはお勧めできませんが、この景色です。紅葉と寺が一望できますし、京都という、山に囲まれた都の優美さを遠くの景色から感じることもできるでしょう。
で、三門に上ったことにすっかりと満足してしまって、法堂の写真を撮り忘れるというのが僕なんですね。
その代わりと言ってはなんですが、疎水はたっぷり堪能してきました。疎水は琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路だそうで、たがたが水が流れる道なのに、これだけ豪華で丈夫に作られているのを見ると、水の大事さがわかります。
③ 平安神宮
南禅寺から平安神宮までは歩いて行けます。一キロほどです。
歩きながらの風景もやはり京都は別格で、下の写真のように道中にあるブルーボトルコーヒーも趣がある建物ですし、湯豆腐屋さんなんて、ここで偉い人たちの密会が行われているのだろうとの確信が持てる程の、優美な老舗の雰囲気を醸し出していました。
そうこうしているうちに、赤く巨大な鳥居が出現しました。平安神宮に到着です。ご祭神は桓武天皇。平安遷都1100年を記念して創設された神宮です。
残念なことに、僕たちは出発が遅く、道中を楽しみすぎたので、境内に入ることは時間的にできませんでした。が、この存在感。王道といっては神に失礼なのかもしれませんが、漠然とした京都の建造物へのイメージが、僕にとっては平安神宮であるような気がしました。
④京都から大阪
大阪の上新庄に滞在していたので、当然観光が終わり、ラーメンも食べ終わったら大阪に戻るわけですが、京都から大阪への所要時間は一時間でした。愛知県に慣れ親しんでいた僕はもう夢の中にいるかのようでした。大阪と京都が、一時間で行けるだなんて。しかも、大阪から奈良までも一時間でいけるわけですよね。なんて贅沢な場所なんでしょう、近畿というのは。
しょうもない話はさておき、美しい紅葉でした。去年は彼女と一緒に紅葉が見れなかったので、今年リベンジできてよかったです。しかも京都でリベンジできたのは尚よかったです。一人で紅葉を見ても、ただの色が変わった葉っぱで、むしろ落葉する運命を待っているだけの儚い印象を抱いてしまいますが、二人でみると、紅葉の美しさを純粋に美しいと思えるのがいいんですよね。
続く