私の鼻血人生②
前回に引き続き、鼻血体質の僕の物語を書き記していきます。
鼻血が出過ぎて救急車に運ばれた話はこちらから。
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鼻血で救急車に運ばれてから、かれこれ10年が経ち、僕は以前程大量出血することはなく、また、変に鼻をいじらない我流の止血方法を身につけたので、年々鼻血の恐怖は遠ざかっていました。
なにせ、小6の夏休みの自由研究は、果敢にも自ら非検体となり、データを集めて、鼻血についてまとめたのですから。
最も、他の人よりかは、出やすい体質のままでしたが。
中学生の時に、授業中に突如として鼻血を数学の教科書にぶちまけ、変な妄想をしているむっつりスケベだといじられたこともありますが、鼻血の真の恐ろしさを知っている僕からしたら、そんな周りの言葉など気になりません。僕の全盛期の姿を見たら、いじりなどせず、ただただ気持ちが悪くてそいつらは僕の元から去っていくでしょう。
高校生の時はさらに鼻血の頻度が減りました。記憶に残るほどの大きな鼻血の記憶はありません。
ですが、鼻血にまつわる印象的な出来事はあります。前回述べたように、僕は中学生の時の陸上大会で、走る直前に鼻血を噴き出し、レースを中断させるという最悪の行為をしました。しかも、時刻を遅らせてもらって始まったレースでは僕が一位になるという、他の学校の選手たちに恨まれてもおかしくない振る舞いをしたのです。
で、その他の学校の選手1人と、高校の陸上部で再会を果たすのです。チームメイトとして。
僕は初めまして、と挨拶をしたのですが、そいつは、「お前知ってるぞ」と言ってきました。
これがいわゆる、鼻血で紡がれた友情です。そいつとは、一緒に苦しい練習を三年間乗り越えた戦友となりました。
大学生の時は本当に鼻血は出ませんでした。出たとしても久々という感じで、量も大したことはありませんでした。いよいよ鼻血との付き合いも終わりだな、と感慨深い気持ちになっていました。
ところが、です。
社会人となった僕は、ほぼ毎日鼻血を出しています。学生時代はほとんどクーラーの効いた部屋にいたから鼻血がなりを潜めていただけかもしれません。
仕事場が暑いのです。節電のためにクーラーの使用を控えていて、まさに部屋はサウナそのものです。僕は絶えず汗を噴き出し、顔を赤くし、死にそうになりながら働くことを余儀なくされています。僕は平均体温が高く、普通の人よりも暑さを感じやすい人間です。
5月の末に、僕は久々に「鼻血が、来る!」という直感を抱き、仕事を中断してティッシュを鼻に押さえつけました。すると、僕の直感通り、ティッシュが赤く染まっていたのです。
それ以来、ほぼ毎日です。仕事場で出なくて喜んでいると、家で出たりもします。
最悪です。
また僕の鼻血人生が舞い戻ってきたのです。
人生にも、歴史にも、隆盛はあるでしょう。僕の鼻血もまた、出にくい時期を経て、再び鼻血全盛期の時期へ向かっているのかもしれません。
仕事場が悪い。