恐ろしいもの
#エッセイ #自我
最近『死』というものが恐ろしく感じる。正確には死に伴う自我の消失がたまらなく怖い。
数年ほど前から、特別生きる理由も義理も作る予定がないので50歳くらいに安楽死出来たらなと思っていたが、1つ大きな勘違いをしていたことに気がついた。私は自我の容れ物である私(個人、肉体)が消えることに興味がないだけであって、私という自我(精神)が消えることなど全く考慮していなかった。
輪廻転生や天国と地獄という昔ながらの宗教観はもちろんのこと、異世界転生やFateそれに限らずフィクション一般の世界で魂の存在が当たり前なことに慣れてしまって、現実の世界に魂など在りはしないことを完全に忘れていた。
人が死ねばその自我はそれきりで、虫や鳥として生きることも、天や地から現世を見守ることもない。ただ消滅してしまうだけになる。世界が未知と神秘に溢れていた時代なら、無邪気に死後の自我を信じて死ねたかもしれないが、今の時代でそれをするのは難しいのではないか。酔いから醒めてしまったら、どうやって恐怖を誤魔化せば良いんだろう。覚悟の準備は誰にでも出来るものではないのに。