コロナ祭りと想像力
今世間はコロナ祭りで盛り上がっている。責任を取りたくない政府は『要請』し、市長は自分の意に従わない相手に対して市民に石を投げるよう『煽動』をし、自粛自警団が『要請』を錦の御旗に違反者を迫害する。まさか本物の差別、ファシズムをこんな形で見ることになるとは思わなかった。私は全くそうは思ってないが緊急事態らしいのでパニックを起こすのは致し方ない。しかしあまりの衆愚っぷりには常日頃のネオリベやフェミに対する憎悪と同程度の怒りが湧く。
「『経済と命の2択』なのだから経済を止めるのは仕方がない」と95%以上の人間は思っているのだろう。しかし経済の状況次第で人が死ぬことは日本は散々体験してきたはずなのだ。反戦創作物は脅すように飢え死んだ人々を見せてきた。不況が襲うたびに自殺者は増えた。貧困な地域ほど治安が悪いことは義務教育やテレビで知っているはずだ。
あるいは、命を守るとして毎年どれだけの人間が死んでいるか知っているのだろうか。事故で、自殺で、肺炎で、どれも数万人規模の死人が出ている。全死因を合わせれば毎年100万人以上が死んでいる。毎年100万人が死ぬ日常を生きてきたのに、コロナに限って大騒ぎをしている。
想像力が働いていない。経済で死ぬ人間、狂う人生。去年までありふれていて、視界から追いやっていた死。この2つが想像できるなら、今のような『自粛』などしないはずだ。感染対策をしつつ出来る限り平時と同じように日本を回しながらコロナと戦うか、徹底的に自由を制限し金と食料を行政が保障して感染を封じ込めるかのどちらかだったはずだ。現実は中途半端なやり方をしたせいで感染が致命傷になりかねない老人や子供などは外を出歩いているし、感染の危険性が高いスーパーやコンビニは運営され、しかし街の活気は失われている。補償金は安い上に遅い。
おそらくこれから失職した人々が家を失い、首を吊り、持つ者を襲うようになる。地方と都会、富裕層と貧困層の断絶はより激しさを増し、一種の精神的な内戦状態になる。これを作るのはここ数年の選択ではなく、数十年の継続的な失敗だ。途中で自分たちが作った死体の山に気づけば、今より打たれ強い日本があっただろうに。早く安楽死を制度化してくれ。こんな奴らと一緒に何十年も生きたくない。