消極的自己愛

#ぼっち #コミュ障 #エッセイ

ぼっち、コミュ障とは端的に言えば自分に自信が持てず自分から動けない人たちを指す言葉であると思う。であると思うなんて遠回りな文を書く私がそうだ。そしてこの「自信が持てない」人たちがどうして積極的な行動が取れないかと言うと、自己愛が強すぎるからではないかと思う。

これを治療するためには、失敗しても何とかなるという経験が必要だと推測する。陽キャやパーティピーポーな方々は、大小様々な失敗の経験を積んでいる。いたずらをして叱られる、スポーツで怪我をする、下ネタを言って異性に嫌われる、競技で敗北する。

しかし表面上真面目な人間は失敗をしたことがあまりない。そこそこのテストの点を取りそこそこの進学をする。失敗しそうなことに挑戦出来る性格でもなければ、それを強制される環境もない。そうして明確な失敗を出来ずにいると、失敗そのものが未知の恐怖となる。そして自己愛の強い人間が出来上がる。

年齢を重ねれば重ねるほど失敗するのが難しい状況になり、余計に治療が難しくなる。小学生の時に上記の失敗をしても大したことにはならないが、大学生になる頃にはいたずらは刑罰の対象になり得、下ネタは社会的死に繋がりかねず、そもそも失敗出来る場がバイトやサークルといった自主的に参加する場所に限られてしまう。失敗が怖い人間に自ら失敗しに行く度胸はない。

私の場合は、男である以上勉強や就活に向けての準備はやらなければ死ぬので吐き気を感じながらも頑張ろうかと思うが、恋愛については完全に諦めている。やらなくても死にはしないし、最早治療が出来ないくらいに価値観が固まっている。勉強や就活について症状が酷くなれば、恐らく引き篭もりになるだろう。このような人間を作らないために、学校や親は子供に対して失敗に慣れさせるための教育を受けさせてあげてほしい。小さな失敗をたくさん経験出来る場所を用意してあげてほしい。

以上で終わります。

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