見出し画像

自己紹介 | 起業以前のこと

自己紹介番外編。初心のふりかえり。2014年にSho Kurokawa architectsをはじめるまでのことをまとめてみました。

現在の黒川彰についてはこちら。

大学 | 慶応SFC

慶應義塾大学SFCで建築設計・環境デザインを学びました。領域横断が当たり前。異分野の変人に囲まれた幸せな4年間でした。

卒業設計は、代官山の蔦屋書店の敷地(当時は電電公社の社宅群が残っていて、まだ再開発の内容は未発表)に、居住と商業と文化を混ぜこぜにする計画。代官山の歴史的な成り立ちと、現代の資本主義的な再開発のどちらも否定しない発展のかたちを提案しました。

ヒルサイドテラスでのSFCスタジオ成果展で槇文彦さんや朝倉健吾さんにコメントをいただけたことは大きな宝です。(まさかその10年後に代官山ロータリークラブに入るとは。)

研究室では松原弘典さんのもとで公共施設を運営者・利用者・設計者の角度からインタビューリサーチしたり、坂茂研究室と協働で四川省大地震の後に成都に渡り小学校を設計&建設しました。(慶応では先生をさん付けで呼びます)

修行 | ミラノと東京

2009年に学部卒業後、ミラノのインダストリアルデザイン事務所 ISAO HOSOE DESIGN と東京の TNA で数ヶ月ずつ働きました。

ミラノではみんなが18時に退社することに衝撃を受けました。日中もゆったりとコーヒー休憩を数回。それでいて極めて高いレベルで哲学的な探求やディテールの洗練がある。

ボスの細江勲さんはよくイノベーティブなタイポロジーを発見したいと言っていました。イノベーションもタイポロジーも、このときは全然意味がわかっていませんでした。この言葉は留学中も今も、ずっと頭の中で再解釈が続いています。

 IHDでの担当プロジェクトはいくつか商品化されています。

Tonelli社のミラー。遊び心。回転して、姿見になったり、夫婦や親子で並んで使えます ↓

Kale社のサニタリープロダクト。ロバチェフスキの幾何学の探求から生まれた形態 ↓

修行 | ブリュッセル (ベルギー)

2012–13年はブリュッセルのOFFICE Kersten Geers David Van Severenで働きました。当時は10–13人くらいのチームでしたが、どんどんコンペに勝って、いくつも建物が竣工して、どんどん事務所が成長していくエキサイティングな時期でした。

ブリュッセル郊外の豪邸の実施設計をしたり ↓

ワレヘムのインキュベーションセンターのコンペに勝ったり ↓

ゲントのコンヴェンションセンターのコンペに勝ったり、オランダの巨大工場群のリノベーションの基本構想や実施設計をやったり、アントワープ郊外やブリュッセル郊外の集合住宅の基本設計をしました。

また、当時のブリュッセルは、現代アートの作家やギャラリーが急に増えている時期で、とても刺激的でした。毎週どこかでオープニングレセプションをやっていました。ギャラリーを訪ねて、お酒を飲んで、アーティストに絡んで、次のギャラリーに移って、お酒を飲んで、、、楽しい日々でした。

大学院 | メンドリジオ (スイス)

2014年にスイスのイタリア語圏のメンドリジオという町にあるスイスイタリア語圏大学(Università della svizzera italiana)のメンドリジオ建築アカデミー(Accademia di architettura di Mendrisio)で修士号を取得しました。建築家マリオ・ボッタが設立した若い学校です。

Walter AngoneseQuintus MillerKersten GeersValerio OlgiatiEric Lapierreのもとで設計を学びました。イタリア、スイス、ベルギー、フランスで活躍する建築家たちです。より多様な価値観に触れてショックを受けるために留学したので、毎セメスター先生を変えていました。

ぼくに刺さった言葉たちを記します。

建築に発明 (invention) なんかないんだ。革新 (innovation) しかないんだ。たいていの問題はすでに先人によって解決されているのだから、その知を現代に組み合わせるのが我々の仕事なんだ。
– Kersten Geers
– Quintus Miller
(世代も思想もまったく異なる2人がだいたい同じことを言っていた)
発明的な建築を作るならやりきれ。慣習的な要素をぜんぶとっぱらって、ちゃんと見たことのない自律的な空間をつくれ。
– Valerio Olgiati
自分のことばかりを語る建築は最低だ。まわりの環境とコミュニケーションをとり、時代やコンテクストを語る建築をつくるんだ。
– Eric Lapierre
Semantic 意味をあつかえ
Didactic 教訓的であれ
Poetic 詩的であれ
– Walter Angonese

スイスでの修士設計はワイナリーでした。生産工程の詳細まで詰めながら、ツーリズムのためにも価値のある空間をつくること。工場でもなくテーマパークでもないワイナリーを考えることはとても有意義な議論でした。

画像1

欧州での日々を振り返っての再発見

当時の大きな発見と混乱は、日本でいう「新しい」にはInventive と Innovative があって、ヨーロッパでぼくが出会った建築家やデザイナーたちはそれらを慎重に使い分けていたこと。そして、ぼくの周りに Inventive よりも Innovative を志向する師が多かったことです。

これについては、いまでも様々な再発見があります。

たとえば、日本でよく話題に挙がるヨゼフ・シュンペーターの「新結合・創造的破壊」やロベルト・ヴェルガンティの「意味のイノベーション」は、日本では非連続的で発明に近い意味で使われることがあります。しかし彼らのいうイノベーションというのは、上記の細江さん、Kersten、Quintusがいうような過去とも未来とも地続きなものではないでしょうか。(もちろんそれはトヨタ的なカイゼンともちがう。)

また、エツィオ・マンズィーニのデザイン分類に登場する意味形成(Sense-making)とは、Walterがいう意味を扱い教訓的であること。カタチの革新性でなく、意味の革新性についてさんざん議論をしました。

さいごに

2005年に慶応SFCに入ってから2014年にスイスを離れるまでの、いまでも再発見がつづく様々な価値観と切り口との出会いに感謝です。

最近は減りましたが、数年前までは大量の留学相談をいただいていました。スイスやベルギーでの留学や就職についてはこちらにご連絡をいただければ、(もうかなり昔のことですが)お話ししたり、もっと若い仲間につなげることもできるかもしれません。学生の方など遠慮なくどうぞ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集