一陽来福
新年あけましておめでとうございます。
乙巳 令和七年の幕が開きました。的中しすぎる未来予測として注目されるSINIC理論によれば、今年は自律社会への移行が始まる年。昨年で最適化社会は一旦目処がついたとされています。
昨年は元旦早々能登で震災があり、激動の年の幕開けを強く感じましたが、今年の方が時代は大きく動く様です。
時代の趨勢を見極めつつ、未来を標榜して『今』を精一杯生きる、そんな姿勢で1年間走り続けたいと思います。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
陰極まって陽となれ
2024年の冬至は12月21日でした。ちょうど足並みを合わせるかのように私はその週に古典を学ぶ『無倦会』なる勉強会の当番に当たっていまして、松下幸之助翁の著書『道を開く』から「一陽来福」の一節を取り上げて朗読しました。
有名な「陰極まれば陽となる」とは易経からの引用です。冬至を境に陽が長くなる様を陰から陽に転じる機として示しており、一陽来福と呼びます。最近、易経を熱心に学び直しており、人の営みは全て自然の摂理に基づいているのだと強く感じています。
近年、私は年末に数枚書く年賀状に「一陽来福」と書き続けています。コロナ禍が経済を停滞させ、世界中で戦争が起こり、日本では社会課題が溢れかえる状態が酷さを増して、先行き不透明感が色濃くなる中、そろそろ陰極まって陽に転じて貰いたいとの願いを込めて書いてきました。
しかし、未だ世界は混迷を深め続けています。今年こそ、明るい兆しを感じたいとの想いでやっぱり今年も一陽来復を願い年賀状に書きました。
そんな背景もあって先日の無倦会で『道を開く』にも確かそんな一説があったと思い出してご紹介させてもらった次第です。
日本独自の儒学
日本で綿々と学び続けられている中国の古典の数々。四書五経がその中心として重んじられてきました。
それらの古典が悠久の時を経て今も語り継がれているのは時代の変遷に流されず、不易と言われる自然の摂理に目指した本質を示しているからだと私は思っています。
ちなみに、中国では文化大革命を経て国の価値観を転換した結果、儒学の教えは皆無と言って良いほど国民の価値観や世界観に反映されなくなりました。
国旗に陰陽を示す太極のモチーフと四季の卦を取り入れている韓国にしても、目上の人への礼儀礼節は浸透していますが、思想的な側面で積極的に儒学が国民に取り入れられてきたとは言えない状況です。
現代の日本人がどのくらい儒学の思想を生活に取り入れているかと問われたら、それも頼りない感は否めませんが、それでも江戸時代に国学として長年取り上げられ、独自の発展を遂げてきたとの意味ではアジアで最も儒学・儒教の価値観が広く根ざしているのでは無いかと感じています。
新年のご挨拶に「一陽来福」と認めて賀状を送ること、受け取ることに違和感を感じないのはその証左だと思っています。
兆しを受け取り、事を起こす
受け取られた方が易経からの引用だと気づかれるか否かはさておき、陰極まれば陽となる。新たな年に一条の光が差し込み、佳き一年にしたいとの願いは受け取って頂けていると思っています。
2024年の日本国内でも世界でもこれまでの常識では理解不能の出来事が数多く起こりました。
それらは個々バラバラに起こった様に見えて、実は因果関係で繋がった同時代の事象であるのは疑う余地がありません。日本も世界も加速度的に混迷を深めているのは誰もが認めるところだと思います。
まさに陰極まりつつあるのが今の時代だと思うのです。そして、全陰の卦から陽に転ずるのが一陽来復の出典となっている地雷復です。
機を知り、義を果たす
季節の流れで言うと陰極まるのは冬至です。そこから徐々に陽は長く長く差すようになりますが、本格的な厳しい冬はその後にきます。一陽来復は兆しがあったとしても直ぐに陽を感じることはないと示しています。
今年もまだまだ厳しい時代が続くのでしょうが、兆しを感じ、時中を見極めて来るべき大きな変化に備えたい。今年はそんな年にしたいと考えています。
兆しを観る素養を身につける時が陽の卦、乾為天三段目の乾惕にあります。ますます混迷を深める激動の厳しい時代を生きながらも、明るい兆しを捉えて身を修め、終わり(未来)から逆算した計画を立てて、義(人生の目的)を果たしたいと思います。
何卒、本年も宜しくお願い致します。
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教育と社会の融合から未来を創る活動をしています。