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あらゆる課題解決の根源にある、解決を妨げる不都合な2つの真実

「人が抱える問題や課題は全て人間関係にある。」と言い切ったのは心理学の大家アドラー博士。人間関係を良くするために発明されたのが言語であり、コミニケーションだと言われていますが、この問題解決の手法があまりにも奏功していないと感じることが少なからずあります。何かがおかしいとずっと思っていました。

一人の課題は皆の問題

私は現在、四半期に一度の社内全メンバーとの個人セッションを行っている真っ最中です。年に4回と言うそれなりに高い頻度で面談を行う主たる目的は、業務をする中でメンバーが抱えている問題や課題を吸い上げ皆で共有し、改善提案を共に考え実行することです。誰もが機嫌よく働ける環境を作りたいとの思いから、20人弱のメンバーに対して年4回、たっぷり1時間、向き合っています。
組織として、業務改善を繰り返し続ける、少しでも良い会社になっていこうとの取り組みは、個人の意見や考え方を尊重しながら、組織全体に水平展開していくことが必要です。苦しみは、悲しみや辛さから逃れるのは自分1人だけで良いわけはなくて、自分が感じている課題は認知しているかしていないかは別として、他の人も抱えていると考えるべきだと思うからです。

解決不可能な課題

個人セッションを行うようになって、かれこれ15年以上経つと思いますが、いまだに改善案を実行して水平展開し、課題解決を社内のスタンダードにするにあたって、浮かび上がるのはコミニケーションの問題です。
当初は、社内における最も重要な課題は、コミニケーション不足の解消である。と思っていたし、スタッフも口を揃えてそのように言ってました。当然、社内でもその改善に向けて様々な取り組みをしてきました。しかし、長年に渡って一向に改善される傾向はなく、それどころか、全員がコミニケーションの重要性を理解した上でコミニケーション不足を加速させている様に感じる始末です。

2つの不都合な真実

いくら鈍感でバカな私でも、これだけ繰り返しコミニケーション不足が解消不可能であるとのパターンランゲージを繰り返すと、さすがにその本質は何かと考えるようになりました。今回は、そんな視点を持ちながら個別のセッションをしています。そこで、改めてしっかりと認識した不都合すぎる真実が2つあります。それは、大まかすべての人はコミュニケーションを取るのを好まない。と言う残念で重大な事実と、ブラスに働くコミニケーションとマイナスのコミュニケーションが存在しており、残念ながら、どちらかと言うと、人はマイナスに働くコミニケーションの方が好きだと言うことです。

コミュニケーションツールの発達と人の退化

情報伝達のツールがさまざまに進化して大勢の人とのコミュニケーションが簡易になりました。ファクシミリさえ普及していなかった私が少年期を過ごした昭和時代から考えると、確かに21世紀は未来の世界に変わった印象を受けます。増やそうと思えば、人とのつながりはいくらでも増やせるようになりましたが、情報革命に慣れ親しんだz世代の子供達は、あえてそれをすることなく、私の子供の頃に比して圧倒的に家に引きこもって外部との接触を断つ子供が増え続けています。それを退化というのは違うかも知れませんが、あまり深く知らない人とのコミュニケーションは、ストレス以外の何物でもなく、できれば避けたいというのが人の本能なのかもしれません。

コミュニケーション不全は本能

また、人の本能は、何かしら外部からの刺激を受けた時に、自分の身を守るために闘争か逃走の2択で物事を考えるといます。それは、よく慣れ親しんだ人からの言葉でも当てはまり、前向きに物事を捉えること自体、理性で制御されている状態で、本能的には戦うか、逃げ出すかのどちらかをしたいと思うようです。
私たちは気軽にコミュニケーションをが大事だから、と言いますが、よっぽど相手のことを慮って、丁寧に接触するように気をつけないと、不用意に言葉をかけるだけでは逆効果になることの方がが多いと言うことです。実は、誰しも、(顕在的に認知していなくても)それが薄々わかっており、コミニケーションを取るのはずいぶんと面倒で億劫にならざるをえません。これがコミュニケーション不足になる根っこの部分です。

言葉は悪口の為に生まれた

20万年前、まだ狩猟時代だった頃に人間は言語を使うようになり始めました。それまでのボディーランゲージやアイコンタクトだけでは、意思の伝達が不足していたからだと言われます。そして、伝達する事項を増やす必要があったのは、弱者が強者に対して命乞いをするためだったと言われています。
体力のある屈強な者が野や山を駆け回り獲物を仕留めて持ち帰る、それを役割分担に応じて分けながら暮らす集団の中で病気や怪我、加齢で動けなくなった役立たずは追放されたり、間引かれたりしていたらしく、そんな場面に遭遇した際、自分よりもっと優先的に排除すべき者がいるとアピールする必要が言語を産んだとも言われます。要するに、悪口を言う為に言葉は生まれたとの説で、だから、人のコミニケーションはマイナスに働かせる方が本能的に多いと言うのです。本当に残念です。

負のスパイラル

以上の2つの事由が、人と人との関わり合いの中に生まれる問題や課題を解決するには、コミニケーションを取るしかないにもかかわらず、それがうまく機能することなく、機能不全を延々と堂々巡りを繰り返す根本的な原因だと最近私が思ったことです。ちなみに、スタッフとのセッションの中では、黙って黙々と作業していると私の顔は大体機嫌が悪そうなしかめっ面に見えて話しかけにくいとの事実を明らかにされました。それは私に限ったことではなく、誰もが話しかけにくい雰囲気を醸すことはあると思っています。これがさらにコミュニケーションのハードルを上げる要因になっており、コミニケーション不足はどんどん加速して必要最低限の関わり合いしか人と接触しないようなコミュニティーになってしまう可能性があると危機感を覚えた次第です。

人は誰しも良知を備えている

このように、不都合な事実に目を向けると、暗たんたる気分になってしまいそうですが、実はそんなに深刻だとは思っていない自分がいます。それは、コミニケーションが上手にできようができまいが、一緒に働いてくれている仲間たちは、皆、そんなに悪い人ではなくて、良いところをたくさん持っているからです。
コミュニケーションがうまく取れない、人間関係がスムーズにいかない。そのせいで業務の効果性が高くならない。それはとても残念ですが、そこの問題や課題を叩き潰すのは、結局そこで一緒に働く人たちが気分良く働ける環境を整えるためであり、必要最低限しか話したくないと言うのなら、それはそれで致し方ないような気がします。
ただ、今だけ楽できたらいい、自分だけ良ければ良いと言う考え方が行動に移るのだけは組織として共に過ごすのであれば絶対に看過できないし、それがなければ悩みながらも楽しく一緒に過ごせれば良いのではないかと思っています。以上、永遠のテーマについての愚痴のような戯言でした。答えはやっぱりありませんが、人は一人では生きていけないし、人を幸せに導けるのは人しかいない。面倒ですが向き合うしかないね。

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コミュニケーションが苦手な人たちを集めての組織論も話します。


コミュ症の人もよかったら繋がってください。

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