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在り方とやり方、目的と手段、時代の転換と中庸

イスラエルのガザ地区への大々的な地上侵攻が決行され、ハマス以外のイスラム勢力、シリア等が参戦すれば地中海に展開しているアメリカ軍の空母にも攻撃命令が下される。アメリカ軍を迎撃すれば次は国連決議を採択され、また連合軍による爆撃が繰り返される。第三次世界大戦勃発が現実味を帯びてきました。平成時代に終わりに、令和はVUCA(不安定、不透明、曖昧、複雑)な混沌とした時代になると多くの人がまことしやかに分析(預言)しておりましたが、一体誰が世界中が戦火に巻き込まれる時代になると予測していたでしょう。全く、これからはこれまでの延長に無いとしか思えないし、今までの価値観や思い込みは全てリセットして見直した方が良さそうです。

日本消滅の危機

ロシアによるウクライナ侵攻と合わせて今回の戦争が本当にアメリカドルを基軸通貨から引きずり下ろす引き金になる可能性があります。BRICsでは既に国際取引をドル建てではなく、中国元、ルーブル等決済する動きが加速しており、アフリカを加えればBRICsは人口では圧倒的に西側陣営と呼ばれて来た欧米諸国より多くなり、当然経済規模も逆転します。これを時代の大転換と言わずして何と言うのか、との印象を受けています。
欧米型資本主義の経済圏にどっぷりと浸かり切った日本も極東で地理的に距離があるからと対岸の火事として安穏にみている訳にはいかないのは自明。日本はほとんどの化石燃料を中東諸国に依存しておりますし、世界で最もアメリカ国債を保有している国でもあります。ウクライナに続き、イスラエルでも本格的な戦争が始まると、これまで以上にとんでもない事態になるのは創造に難くありません。現状のままでは軍事、経済、政治のどれも不安定極まりないアメリカの凋落は日本を消滅させる可能性さえあると思っています。

世界を植民地化する寡占化の時代

不透明、不安定そして複雑さを極める世界情勢を見ると暗い気持ちになってしまいますが、私たちは自分たちの国、地域、事業所、家庭を守らなければなりません。手をこまねいていては時代の渦に巻き込まれるだけ。未来を見据え、今自分たちに出来ることを考えて、行動を起こす必要があります。世界で起こっていることは決して他人事ではなく、自分ごととして捉えるべきです。
実は、共産主義が潰えて、資本主義経済が席巻した今の世界は国よりも国境にとらわれる事なくグローバルに経済で覇権を持つ企業の方が力があります。戦争で国の財政は疲弊しますが、武器商人たちは莫大な富を手にします。特にアメリカは軍需産業の巨大企業が国家を動かすほどの大きな影響力を持っており、世界中で収益をあげ続ける超大手グローバル企業のGAFAも相互的に深く繋がっていると言われます。
戦争でより資本力を強めた巨大企業の攻勢がより強まってもおかしくありません。街の本屋さんが絶滅しかけているように、飲食店の利益をUVERに掠め取られたように、私達のような地域に根差した事業所を含め、全ての産業が超大手グローバル企業寡占されてしまう可能性が強くなるのがこれからの時代です。根本的に考えを改める必要を感じずにはいられません。

脱植民地は共同体の再構築しかない

では、未知なるこれからの時代にどの様に向き合うべきなのか?との問いへの答えはいつの時代も本質に立ち返るしか無いのだと思います。そして、これまでと同じ価値観(損得勘定、メリット、デメリット、効率、ブランド力、知名度)でビジネスに向き合えば、確実に資本力のある企業が勝ち残るに決まっています。このような物質的な価値観ではなく、本質=人の心に向き合い、寄り添い、信頼と共感を集めながら共に生きる共同体を再構築しなければ、外国からの黒船に蹂躙されてしまいます。アメリカを代表格とする西欧諸国は幕末に黒船で押しかけてきて、武力を盾に不平等条約を無理矢理締結しました。それから時は経ち、今は経済力を振り回して日本を本格的に植民地化しようとしています。実際、日本円が弱く安くなり、日本中の土地が大ディスカウントセールの真っ只中になってしまい、この傾向は当分弱まる気配がありません。北海道の夕張市は経済破綻から財政再建したと言われていますが、実は中国に土地や施設を売り渡した金で借金を返しただけで、街は閑散として荒れ果て、市の税収はなくなり、全く住民へのサービスが行き届かない状況に拍車が掛かっているのが現実です。北海道から順番に、地方都市は実際に植民地に変わってしまいつつあるのです。

真逆のパラダイムへのシフト

大転換の時代にはこれまでの価値観を転換させてビジネスモデルを組み立て直す必要があるのはテーゼ、では、具体的に何をどうするか?との問いが浮かびます。
私は昭和時代に成人して社会に飛び出して起業しました。その時代、子供の頃から教わった価値観は(恥ずかしいですが)金が全ての拝金主義です。現在、中心的な存在である昭和生まれ経営者の圧倒的多数が「今だけ、金だけ、自分だけ」良ければそれでいい、世の為、人の為で飯が食えるかよ、との思考の人になっているのは、その人たちが悪いのではなく、そのように教育されたからです。この論理で生きると、確実に怪物の様な大手企業に飲み込まれてしまいます。そのための奴隷教育を78年間日本人は受けてきたのです。
それに対抗するには、真逆のパラダイムへのシフトが必要です。勘のいい経営者は既に気付いて、「未来志向で、信頼や繋がり、文化といった目に見えない価値を重要視し、社会の課題解決を行う」事業モデルへと転換を進めてきました。CSV経営として最近は随分と一般的に知られる様になりました。
しかし、それは元々、日本古来の商売観である三方よしの考え方であり、原点回帰、本質思考への帰着を目指すものです。

中庸とは二項動態であり神の道

とはいえ、殆どの企業では、これまでCSVモデルと呼ばれる、本業の経済活動と社会課題解決が一体になったモデルにはなっておりません。そこから急に事業ドメインも事業の目的も変更して再出発をする訳には行かないのも当然です。そこで重要な概念として持つべきは、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で有名な中庸の視点ではないかと思うのです。そもそも、事業は目的を達するために手段を講じます。まず本学(在り方)を学び、その実現のために末学(やり方)を修めるべしと言われますが、手段なくして妄想や空想で理想を掲げても全く意味がないことを考えれば、在り方とやり方は表裏一体でありどちらも同時に学び、実践に結びつける必要があります。
要するに、どちらからの二項選択ではなく、常にどっちも、を選択し矛盾する対立項が相互作用する二項動態思考を持つべきだと思うのです。
中庸は論語に「中庸の徳たる、其れ到れるかな。民鮮きこと久し」とあり、全てを調和させた神の道とも言われます。この激動の時代に私たちが歩むべきは、イデオロギーや損得勘定、主義主張ではなく。和を持って貴とする、人を人として大切にする、人の道ではないかと思うのです。

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