一陽来復と一期一会 〜VUCA時代の歩き方〜
新年あけましておめでとうございます。の挨拶もまだ終わらないうちにお屠蘇気分を打ち消すような激しい地震が北陸地方で発生、建物の倒壊、津波に火災と非常に大きな被害が広がったことに心を痛める1年のスタートとなりました。
このたびの北陸地震の被災地の方々にお見舞いを申し上げますとともに、尊い命を失われた方のご冥福を心よりお祈りいたします。今後、被災家屋の応急復旧や、災害仮設住宅の建設など、我々が建築業として支援できる事が多々出てくるに対して早々に出来る限りの支援体制を整えたいと考えています。私達は災害がある度に現地の事業者と提携して顔の見える直接支援を行っておりますので、救援の要請等の情報がありましたら直接ご連絡頂ければと存じます。
激動の一年の幕開け
波乱含みのスタートと言うには、あまりにも厳しい大災害から始まった2024年。年頭の所感として、私が元日に考えていた問いは、大きな時代の転換期の荒波に飲み込まれてしまわないようにする在り方とは何か?でした。まさか元日から大災害が起こるとは予想だにしておりませんでしたが、それでも今年は大きな変化が起こる激動の1年になる事は覚悟していました。SINIC理論を始めとする未来予想では、2025年に世界の枠組みが変わるほどの大きな変化が起こると言われており、その前兆として本格化したVUCA化(不安定、不透明、曖昧、複雑)な世界に向き合うにはどうすればいいか、先行きが全く見えないこの時代にどんな指針を持つべきかを考えながら年越しの除夜の鐘をつきに行きました。
一瞬を精一杯生きるしかない
何が起こるか全く分からない、想像を大幅に超えることが次々に起こるのに、その対策をあれこれ練るのははっきりってナンセンスです。しかし、全く何の準備もせずに成行きに身を任せてしまうのも無責任。その両方を鑑みて思いついたのは、結局、私が座右の銘として掲げている一期一会でした。
私は阪神淡路大震災で被災した経験から、当たり前の日常はある日突然消え去ることを私たちは身をもって知っています。天災は忘れた頃にやって来る、備えあれば憂いなし。と昔から言われ続けて来ましたが、大自然の力は少々の備えなど全く歯が立たないほど強大で、まさに人智を超えた出来事が突然起こります。災害が起こる度に無力感を感じずにはいられませんが、私達、人間に出来るのは、当たり前の日常に対して惰性に流されるのではなく、一瞬を大切に丁寧に精一杯過ごすしか無い様に感じます。
一期一会の真相
一期一会という言葉は茶の湯の世界でよく用いられます。一瞬の出会いを一生のお付き合いに繋がる素晴らしい機会にすべく心を尽くしておもてなしをすべし。との文脈で語られることが多いですが、実はもう少し深い人としての在り方を示しています。それは、いつ何時、出会いがあろうとも、最高のおもてなしを行える様にするには、平素から常に完璧な設を維持しておく、状態を整えておく必要があるとの原則論です。それは単に茶室に道具や花を備えておくだけに止まらず、普段からの不断の努力で心技体の全てを整える必要を差し示しています。未来を見つめ、リスクを考えれば手を打っておくべきことは数え切れないほど山積している事に気付かされますが、行うべきことを行うべき順序で確実に進める。いつ何が起ころうとも、心折る事なく正面から向き合い、最善の対処を行える状態を整えるしか出来無いのが厳しい事実だと思うのです。
一陽来復
今年の賀状に私が書いた言葉は「一陽来復」でした。その意味は陰が極まって様に転じること、暦では冬至を境に陰暦から陽暦に変わる、冬が去り、春が来ることから、新年を迎える言葉としても用いられます。そして、「一陽来復を願う」との使い方は、悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうことを祈る言葉でもあります。
元旦早々に地震が起こるなんてことは全く予想だにしていませんでしたが、年賀状を書く際に、世界中に格差と分断が蔓延り、戦争という圧倒的な暴力がまかり通ってしまっている、人の尊厳が失われている世界の現実に目を向けると絶望してしまいそうになりますが、それでも、陰極まれば陽となると信じて、前向きに光を見つめ、まずは自分達の出来る範囲から人が生きるに値する社会を目指して、挑戦をし続けたいとの思いを込めました。
奇しくも、その言葉をタイトルにした映画は東北の震災から立ち上がり未来に希望を繋いだ人達の物語です。オープニングに流れる釜石甚句は今も心に染み渡り、何度も何度も未曾有の大災害から立ち上がってきた私達の底力を思い起こさせてくれます。北陸の皆様には未だ光を見れる状態ではないと思いますが、以前の被災者としてやっぱり絶望ではなく希望を持ち続けて貰いたいと切に願います。
https://youtu.be/UQs54Sg_wow?si=okJlJDIt26Ey8SzG