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「昔から太っていた人々」と「かっては痩せていた人々」

~アメリカと日本の栄養・肥満問題の対比:19世紀後半から20世紀初頭まで~

はじめに

現代、アメリカは世界で最もメタボリックシンドローム(メタボ)の割合が高い国の一つとして知られています。
一方、日本は長寿国として知られ、比較的肥満率が低い国として認識されています。

しかし、この傾向はいつ頃から始まり、どのように進行したのでしょうか?
今回は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアメリカと日本の栄養状態と肥満問題の対比を探ります。

産業革命後のアメリカと明治時代の日本:対照的な食生活

アメリカ:豊かさと肥満の萌芽

欧米列強が世界各地にせっせと植民地を作っていた19世紀後半。
アメリカは急速な産業化と都市化を経験し、食生活も大きく変化しました。

  • 都市化による身体活動の減少

  • 加工食品の普及と食事の高カロリー化

  • 食料の大量生産と低価格化

これらの要因により、特に都市部を中心に肥満が徐々に増加し始めました。

日本:栄養不足との闘い

同時期の日本(江戸時代の終わりから明治時代にかけて)は、まだ全体的に貧しく、むしろ栄養不足が大きな問題でした。

  • 主食は米だが、多くの人々にとって十分な量を確保するのが困難

  • タンパク質や脂肪の摂取が極めて少ない

  • 慢性的な栄養不足による発育不全や疾病が問題に

1880年代の日本人の平均身長は、

  • 男性で157cm

  • 女性で147cm

程度でした。
これは、当時のアメリカ人と比べて10cm以上も低く、栄養状態の違いを如実に示しています。

栄養学の発展:異なる目的と背景

アメリカ:過剰摂取への対応

1881年、生理学者カール・フォン・フォイトは
「アメリカ人は1日にタンパク質を118グラム摂取すべきだ」
と提唱しました(フォイトスタンダードという)。

  • 高タンパク質・高カロリー食の推奨

  • 「多く食べることは健康的」という認識の広まり

この基準は、当時のアメリカ人の食生活がすでに豊かであったことを示唆しています。

(ちなみにこのフォイト先生は、現代ダイエットの父と呼ばれています)

日本:栄養改善への取り組み

一方、日本では栄養改善が国家的課題でした。

  • 1898年:陸軍による兵士の体格改善のための「歩兵操典」改訂

  • 1900年:石塚左玄による「化学的食養長寿論」の出版

  • 1908年:佐伯矩による「栄養学」の導入

日本の栄養学は、国民の体格改善と健康増進を主な目的として発展しました。
(ひいては、強い兵士を育てて強い国にするためです)

20世紀初頭の状況:対照的な健康問題

アメリカ:肥満の社会問題化

ライト兄弟の世界初飛行や、第1次世界大戦があった20世紀初頭。
アメリカの肥満率は確実に増加傾向にありました。

  • 1900年頃の成人肥満率:推定5%未満

  • 1920年代までに:推定10~15%に増加

  • 肥満が「健康上の問題」として認識され始める

日本:栄養不足の継続

同時期の日本(日清・日露戦争、関東大震災など)では、依然として栄養不足が主要な健康問題でした。

  • 1910年代の平均寿命:

    • 男性42歳

    • 女性43歳

  • 慢性的な栄養不足による感染症の蔓延

  • 都市部と農村部の栄養格差の拡大

日本では、肥満はほとんど社会問題として認識されておらず、むしろ「肥満=健康」という認識すらありました。

栄養政策の方向性:対照的なアプローチ

アメリカ:過剰摂取の抑制

アメリカでは、過剰摂取を抑制する方向で栄養政策が展開されました。

  • 1902年:ホレース・フレッチャーによる「フレッチャリズム」※

  • 1907年:チッテンデン教授による過剰タンパク質摂取への警鐘※※

  • カロリー制限や適切な栄養バランスの重要性の強調

※ホレース・フレッチャーさんが何者だったのか、学者だったのか何だったのかは謎ですが、こんなことを唱えました。
「ものを食べるときは、飲み込む前に32回、咀嚼すべきだ。32回咀嚼すれば、フォイト先生の118グラムに足りなくても、タンパク質は十分に摂取できる」
要するに「よく噛め」と主張した。
どうして「32回」なのかは不明です。

※※エール大学のチッテンデン教授は「ヒトの栄養」という本を出し、こんなことを提唱します。
「タンパク質を1日118グラム摂れというのは、は多すぎる。つまりアメリカ人は食べ過ぎだ。毎日118グラムものタンパク質を摂っていたら、腎臓がやられてしまう。タンパク質は半分でいい」
教授はさらにこんなことも言いました。
「ホワイトカラーの人は、1日あたり3000カロリーも食べれば十分だ。それ以上、食べてはいけない」
つまりこのころには、科学者が警鐘を鳴らすほど、アメリカ人は食事の量が多く、運動不足で、メタボも増えていたということになります。
ちなみにこのチッテンデン教授はずいぶんエライ先生だったらしく、日本(当時は明治時代の終わりごろ)から栄養学を学びにきた留学生も、この先生に教わっていたようです。

日本:栄養摂取量の増加

日本では、栄養摂取量を増やす方向で政策が進められました。

  • 1914年:東京帝国大学に栄養学講座が開設

  • 1920年:内務省に栄養研究所が設立

  • 学校給食の導入(1889年に山形県鶴岡町で始まり、徐々に広がる)

日本の栄養政策は、「富国強兵」とを主な目的としていました。

  • 富国=労働生産性の向上

  • 強兵=国民の体格向上

おわりに:現代の食育への示唆

19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアメリカと日本の対比は、現代の食育に多くの示唆を与えてくれます。

  1. 社会経済状況と食生活の関連:経済発展段階によって、直面する栄養問題が大きく異なることの理解

  2. 文化的背景の重要性:同じ「栄養学」でも、文化によって異なるアプローチが必要であることの認識

  3. 歴史的視点の必要性:現在の食生活や健康問題を理解するには、長期的な歴史的視点が不可欠であること

  4. グローバルな視点:一国の食育を考える上でも、国際的な比較や交流が重要であること

  5. 変化への適応:社会の変化に応じて、栄養問題や食育のアプローチも柔軟に変化する必要があること

この歴史的対比から、私たちは食育が常に社会の状況や文化的背景に応じて進化してきたことを学ぶことができます。
現代の食育に携わる者として、過去の知見を活かしつつ、それぞれの社会や文化に適した新たなアプローチを模索し続けることが求められているのです。


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