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参加者全員で問いを探求する研究会〜一人称研究の視点から〜

(ミミクリデザインのブログに2018/2/23に掲載したものを転記)

こんにちは。ミミクリデザインのリサーチャーの青木翔子です。現在、ミミクリデザインのなかでリサーチをやらせていただいていて、ミミクリデザインの素敵なところ、そして強みだと感じるところは、代表の安斎自身がワークショップの実践者としての経験が豊富なところ、そしてそれを研究も行うことができることにあるなあ、とつくづく感じています。それは、研究と実践をつなぐ架け橋的な存在としてミミクリデザインが存在できる可能性があるということです。

研究者は、象牙の塔の住人と揶揄されるほどに、一般的な社会や実践から遠い世界のように思われています。もちろん、研究にもいくつかレイヤーがあり、数学や哲学、物理学といった基礎研究から、ミミクリデザインが行っている教育工学やデザイン研究といった実践に近い応用研究まで様々にあるので一概には言えませんが。それでもやはり、実践と研究というものの間には少し隔たりがあることは、誰しもが少しは感じるものなのではないでしょうか。

今回は、先日ミミクリデザインで行った「ビジュアルコミュニケーションを科学する -会議で活きる視覚文法のパターンを探る」という研究会が、実践と研究が一体となり重なり合ったの新たな試みになるのではないか、ということについて、「一人称研究」という視点から紹介させてください。

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最近、人工知能研究や認知科学研究の領域では「一人称研究」の潮流が生まれてきています。一人称研究は、諏訪(2015)によれば「あるひとが現場で出合ったモノゴトを、その個別具体的状況を捨て置かずに、一人称視点で観察・記述し、そのデータを基に知の姿についての新しい仮説を建てようとする研究」のことを指します。

この研究の考え方の新しさとは、自然科学において長らく支持されてきた「『客観性』に一見反するようなことを述べている」という点にあります。自然科学においては、提示される仮説(理論)は、再現可能性と反証可能性をもつ必要があります。しかし、その自然科学の客観性の考え方の限界としては、社会や人間、生命といった現象について説明することができないことがあるということがあります。1)研究の哲学や科学哲学については私は門外漢なので、ここではこれ以上述べないようにしますが、とにもかくにも、人と人との相互作用だとか、人と環境とのインタラクションだとか、人の認識みたいなものについては、従来の研究手法ではなく新しい方法論として「一人称研究」が模索されてきているということです。

つまり、私たちがミミクリデザインでも探求している<ワークショップ>はまさに、一人称研究で扱われるべきテーマに含まれているということになります。ワークショップという営みでおきている創発・対話、学び。そして、ワークショップのファシリテーション。これらはすべて、状況に埋め込まれており、文化、社会、環境、人などが複雑に絡み合った文脈のなかで立ち現れている現象です。ワークショップやファシリテーションのなかで「自分がどう感じたか、自分と他者や環境との間にどんなことが起きたのか」について「一人称視点」を取り込んで研究するからこそ、紐解いていけることがあると思います。2)

研究の営みとしてスタートしているこの一人称研究には、研究される対象者(被研究者)の深いコミットメントが不可欠になります。それは、自分自身のふるまいや実践、感覚について振り返り、実施し、語るということが求められるからです。普段の実践をそのまま行うだけでは成立しません。つまり一人称研究には、実践側が研究に片足を突っ込む必要もありますし、研究者側が実践側へ入っていく必要もあります。この点において一人称研究は、実践と研究をつなぐひとつの接点になる視点であるのです。

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この一人称視点からみると、先日の「ビジュアルコミュニケーションを科学する -会議で活きる視覚文法のパターンを探る」という研究会3)は、大変興味深く新しい試みだったと感じます。

研究会の内容としては、参加者全員で「ビジュアルコミュニケーションが議論にどのような影響を与えているのか?」という問いを探求していきました。今回の研究会では、まず、お題「2020年オリンピックの期間に、『食xスポーツ』をテーマに料理店をこのメンバーでつくるならどんな場所にデザインする?」に対して、5人のビジュアルコミュニケーターが1人1グループに配置され、それぞれのビジュアルコミュニケーション(グラレコ、グラファシ)のやり方を通して、議論をデザインしていきました。参加者は各グループ3名おり、その議論に参加していきます。それ以外に、グループに1人観察者を設置し、どのように議論が行われているかについて観察記録をつけていきました。そして、60分のディスカッションの後、自分たちの議論がどのように行われたか、その際に、ビジュアルコミュニケーションがどのように機能していたか?について、グループごとに、その3者が振り返りを行い、分析を行っていきました。

今回の研究会の試みを一人称研究の視点からみると、一人称研究に関わるステークホルダー全員がこの問いについて探求していくプロセスに加担したということになります。中島(2015)によれば、一人称研究は「知やものごとを創造するということを自分ごととして捉え、被験者や自分が創造しているものごとが被験者にとって、および自分にとってどういう意義を持つのか」を考えることだといい、そして、その一人称研究には、①被研究者(創造する人)、②被研究者(使用する人)、③研究者(研究する人)の3者が関係してくるといいます。

今回の研究会でいえば、(ビジュアルコミュニケーションを)創造する人=ビジュアルコミュニケーター(グラレコ/グラファシ)、それを使用する人=参加者4)、研究する人=観察者という3つの役割がこれにあたります。

この3者によって、同時に今そこで生起していたディスカッションについて振り返ることで、新しい一人称研究のかたちが生まれていたのではないかと感じました。そこでの発話はまだ分析がなされていませんが、①創造者は「なぜこのような議論のデザインを行ったのか」、「どのような意図があったのか」を話し、②参加者は「その行為によって自分がどのような影響を受けていたのか」について話し、③観察者は「その行為は客観的にどのようにみえていたのか」について話したり、両者に問いかけていく。そのようなインタラクションのなかで、ビジュアルコミュニケーションが議論にもたらす影響について、たくさんの知が創造されていました。たとえば、人を描くときに、表情を入れているとその表情にひきずられ、発想しにくく、表情がないほうが自分をそこに没入させていけるため新しいアイデアがうみやすいということ。自分が話していることが、ビジュアル化されていくことで自分ばかりしゃべっていることに気付かされ、話の抑制になったこと…。そのような分析が、多様な一人称視点から語られることで行われていたのです!

データをとってきて、研究室である種”静的な”データに向き合い続ける研究手法では見えてこなった知がそこには存在していました。もちろん、これを研究にしていくためにはまだ考え、超えていくべきハードルがいくつかあると思います。しかしながら、そのディスカッションをみていくにつれ、この研究会は、実践と研究が一体となり循環する新しい営みなのではないか、と大いなる期待と高揚を感じました。実践者か研究者かといった2者を隔てていたものを取り去り、そしてそのどちらとも言えない「参加者」たちによって知が生み出されていき、実践が創造されていく。そんな<研究的実践>、あるいは<実践的研究>ともいうべき在り方を模索していきたい、そう感じました。そして、そんな新しい試みを、ミミクリデザインではもっともっと行っていきたい…そんなことを考えているリサーチ部門の青木でした。

青木

<参考文献>
中島秀之(2013)「客観的研究と主観的物語」人工知能学会誌28(5).
中島秀之(2015)「客観至上主義を疑ってみる」
諏訪正樹・堀浩一(編著)『一人称研究のすすめ』近代科学社.
諏訪正樹(2015)「一人称研究だからこそ見出せる知の本質」

References
1. ↑ このあたりの詳しい解説は、中島(2013)もしくは中島(2015)を読んでいただければと思います。
2. ↑ 具体的な研究事例は、諏訪(2015)に詳しい。ミミクリデザインで行った研究としては、「ワークショップ実践者のファシリテーションにおける困難さの認識」などがある。その研究は、二人称研究ではあるが、諏訪(2015)は二人称研究も一人称研究として述べている。今回は、本人の一人称視点で困難さについて語ってもらったことで、初心者と熟達者では困難さを感じる点や原因帰属の在り方が異なることがわかった。客観的に、初心者と熟達者のふるまいを比較した研究では明らかにならなかった点であろう。
3. ↑ http://mimicrydesign.co.jp/blog/527
4. ↑ ある種、参加者はビジュアルコミュニケーションへ加担しているため、創造する人として捉えることもできるが、今回の問いはビジュアルコミュニケーションが議論(使用結果)にどのように影響するか、ということなので、使用者として区分する

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