古本屋さんになる話
はじめに
古本屋になりたいな、とおもったのはいったいいつのころだったでしょう。
と、はじめにそんな問いをたてておいてなんだけれども、じつのところまったくおぼえておりません。
自分でもよくわからないうちに、気がついたらずっとそんなことを言っていました。
言いだしたのはたぶん十年以上まえのことで、雑談まじりに、ちょっと本気に、なんだかわかってくれそうだなあとおもうひとにはそんな話をしていたから、ひとによってはあんたいったいいつなるねんな、とおもわれる向きもあったかもしれません。わたしなら絶対おもうし、実際何人かの方からは進捗どうですかというようなことを折にふれおたずねいただいておりました。
気にかけてくださる方がいるのはとてもありがたいことで、それとともに、自分でいくら夢想していてもわたしがやりたいのはこういうかたちですよ、いまここまで進んでいますよとすぐに提示できるものがないというのはなんというか、せっかく気にかけていただいているそのご恩に報いられないということでもあるなあと反省したりもしていました。
十年と言ってもそのあいだにはまあひとなみにいろいろあって、いろいろの内容を列挙してみたらどうなるものかなといまちょっと書いてみたけど若干重くなるうえにそんなにおもしろくなかったのでざっくり割愛しますけれども、具体的には、ちいさいころから運動制限のある両股関節の、左右それぞれで長期入院&リハビリとか会社倒産とかまあそんな感じでいろいろありました。
ちなみに休職と、倒産して会社都合の無職だと手術&長期入院の費用が半分近く変わるのでびっくりした話もありますがそれはまあもっと関係ないのでとりあえず。
古本屋になるとかならないとかおいておいてもふりかえってみれば結構濃い十年だったような気もするしそうでもないかもしれないけど、その合間にもちょっとずつ古本屋開業の準備はしていて、そうしてこの半年くらいで急に、あ、いけるんちゃという開業の決意と、これまで気にかけてくださった方々へのあらためてのご報告と、はじめましての方にはわたくし実はこういう者ですという自己紹介のためにこのような文章をしたためてみる次第です。
よろしければお付き合いください。
なるまでの話
こどものころから本がすきでした。
と書いておいてなんですけども、本がすき、とひとくちに言ったところでその意味合いはひとによってそれぞれちがうものなんじゃないかなとおもうことがあります。
集めるのが好き、眺めるのが好き、読むのが好き、本のかたちが好き、いろいろとあって、たぶん千差万別で、そっくりそのまま他人とかさなることはあんまりない、のでは。たぶん。
わたしの場合はどうなのかな、と考えてみると、それは「いれて、といちいち緊張して言わなくてもするっと受け容れてくれるひとたちがいるところ」かもしれないなと最近おもうようになりました。
さいわいなことに母親の本棚にはたくさんの物語があって、たとえば小学校二年生のときにはじめて読んだ推理小説は仁木悦子『猫は知っていた』でしたし、いまでも八月がくるたびに読みかえすのは松谷みよ子『ふたりのイーダ』。『ガラス壜の中の小さなお話』や赤川次郎、宮部みゆき、あれこれとひっぱりだしては読みふけったものでした。母にすすめられたのは松下竜一『ルイズ』や遠藤周作『沈黙』でした。
四年生くらいになると自転車で近所の図書館分室にいったり、家のすぐ近くにできた、たばこ屋を改装したちいさな古本屋に入りびたったりしていました。
わたしの育ったところは日本に冠たる大企業とその子会社とその下請けの会社とそのまわりをとりまくお店でできている下町で、しかも時代はちょうどバブルがはじけたころで、つまりはあのころあの地域の古物商はかなりにぎわっていたのだとおもいます。
ちいさな町にしては古本屋がとても多くて、世相などなにも知らない無邪気なこどもは自転車でうろうろしては新しい店をみつけることがとても楽しかったものです。
中学校でべつの町にひっこしてからも、そんなことをしょっちゅうしていました。
小学校でも中学校でもともだちがいなかったとかまったく遊ばなかったというわけではなかったはずだし、いまでも付き合いのあるひとたちはそれなりにいるのだけれど、いまにしておもえばどうしてそんなに時間があったのかふしぎなほど、自転車でひとりふらふらと図書館と本屋と古本屋めぐりばかりしていました。
おおきくなっても本とそれらがある空間がすきな気質は変わらずに、大学院を出てはじめにつとめたのは図書館でした。
そこに一年半ほどいて、そのあと古本屋の仕事につくことになりました。
図書館を辞めるとき、すでにわたしは別の館に移っていたのだけれど、最初に入った館のひとたちが送迎会もかねて職場の呑み会に誘ってくれました。
みんな二十代で、ばりばり仕事ができて、きれいでかわいくて酒豪揃いで、世間がいだく図書館というイメージとはたぶんだいぶかけ離れているのだろうけれどとてもすてきなひとたちでした。
と過去形で言ってみたもののこちらもいまでも何人かとは付き合いがあるし、あれから何年も経ってはいても彼女たちはきれいでかわいくてものすごくよく呑むのでたぶん歳は関係なかったなとかそういうことは置いておくとして。
酒宴もたけなわ、話はわたしの次の就職先におよび、あるひとが「古本屋といえば富安陽子さんの『ムジナ探偵局』がすき」とおっしゃいました。
そのひとは児童文学や絵本にとてもくわしくて、業務のほかにも読み聞かせのボランティアをされていたスーパー図書館員でした。
ご存じでしょうか、『ムジナ探偵局』。
僭越ながら説明いたしますと、ムジナさんと呼ばれる古本屋兼ふしぎなこと専門の探偵と小学生の源太少年がいろいろな事件を解決していく物語です。児童書になるのかな。現在9巻のシリーズが童心社から出ています。
図書館のメンバーには言ったことがなかったけれど、じつはわたしは大学生のころに『ムジナ探偵局』を読んで以来ずっとムジナ探偵のファンでした。
ので、あらやだ見透かされたかしらとちょっとどきどきしながら「わかるわかる好き好きムジナ探局ー」みたいな返しをして、なんなら将来ムジナ探偵みたいになりたいよねーなんて飲み会のノリで笑っていたら、べつのひとが生中の大ジョッキを片手にこう言ったのでした。
「いっそムジナ探偵と結婚するために古本屋になりますって言いやー」
古本屋がすきだとか、古本屋に憧れるとか、そういうきもちを抱いたのはきっとこどものころからで、だから大学院卒業後もずっと本にかかわる仕事に就いていて、そう、そしてこのたび古本屋になろうとしているわけではありますが。
なのになんということでしょう、どうして古本屋になろうとおもったのかとあらためて考えてみても、わたしのなかにはこのときのこのひとの言葉がふかく刻まれてしまっていて、たぶんそれ以前におもっていたいろいろなことがすっかり上書きされてしまっているのです。
……いや、あの、ほんとに。
ネタじゃなくてほんとに。
それくらいインパクトがあった。あるよね?
それ志望理由にしたらめっちゃおもろいなってそのときうっかり真剣におもってしまったので、おもってしまったので……それまでいろいろと考えていたり夢を描いていたことがぜんぶすっぽり抜け落ちてしまって、なんということでしょう、いっさいおもいだせないのです。
やばいよね。わたしもやばいっておもう。
でも大阪人ってそういうとこない? と主語を大きくしてみてもなんにもならないのは重々承知しつつ。
ムジナ探偵と結婚するためにってことにしちゃいなよと言ったひとはそのあと図書館から離れてしまったそうなのでいまどうしているのかよくはわかりません。
『ムジナ探偵局』おもしろいよねという話をしてくれたひとは六年まえ、三十七歳の若さで亡くなりました。兵庫県のとある市の、図書館長に赴任する直前のことでした。
ふたりと交わした言葉ばかりが、あのときのお酒の席の楽しさとともにわたしのなかに残っています。
そのあと古本屋には六年つとめて、それから印刷会社の編集営業をして、いまはやっぱり本にかかわる仕事をしています。
最初にすこしふれたとおり、この10年のあいだに足の手術を大小合わせて四回しました。
わたしはうまれつき足が悪くて、手術をくりかえしたもののいまでもやっぱり走ることも重いものをもつこともできません。重いものをもつと次の日痛みで寝こんだりします。
古本屋の業務にはふさわしくない身体的特徴だなあとわれながらわきまえてはおります。
そんな古本屋もまああっていいんじゃないかなとか、いやまあ、あかんような気はしなくもないですが、とりあえずは目をつぶっておきます。
体のつくりと学業や仕事の折り合いがどうにもつかないままなんとなくぼんやりとこの歳まできて、でもまあそううまれたもんはしょうがないよなあといまさらちかごろようやっと自分のなかで落としどころがついたような気がしていて、ので、冒頭にかえりますがじゃあそろそろ古本屋をやろうかなとおもった次第。
石橋をたたくにもほどがあるかなり長めな歳月ではありますが、まあとりあえず踏ん切りをつけるまでにそれだけかかったというのが実情かもしれません。
歳月を重ねたからといって足の骨は丈夫にならないし、走れるようにも重いものをもてるようにもならないのだけれど、まあ言うたってしゃあないしな、とようやく素直におもえるようになったような感じです。
足が悪いのにひとりでお店なんかできるだろうかとか、そもそも歩けなくなる可能性だってあるわけだしと、いろいろとそれこそ足だけに文字どおりの足踏みをしているあいだにも、なんて重い話をまぎらせようとしていますべった感じがするとかそういうのはあえて気にしないでおくとしましても、この十年のあいだにいろいろと仕事をしてきたしさせてもらって、そのおかげでわりとひととおりの実務は身についたような気はします。たぶん。
たぶんばっかりですね。でもまあ、そんなこんなでたぶんです。
ぼんやりとしているあいだに時代もまたどんどんと進んでいって、オンライン起業のハードルはものすごく低くなって、むずかしいコードとかあれこれを組まなくても簡単にネットショップが開けるようになりました。
ムジナ探偵と結婚するにあたってのメリットはなにより重いものをもってもらえることかなとかそんなことはいまでもときどきわりと真剣に考えてしまうものの、それはさておき古本をさわることは単純に楽しいし。
だからまあ、古本屋さんをやりたいなとおもうのでした。
ムジナ探偵と屋号のこと
ムジナ探偵との結婚というのはまあ夢物語にしても、これから開く自分のお店にまったく関係ないかというとじつはそうでもなくて、まあこれはある意味自慢ですよねえっへんみたいなことがあったんですよという話をでは最後にひとつ。
いまをさること数年前、守口市にある「たられば書店」さんのイベントで富安陽子先生にお会いする機会がありました。
たられば書店さんは町家を改装された古本屋さんです。
一階は古本屋さん、二階はフリースペースとなっていて、当時多くのイベントを企画されていました。
そのうちのひとつに「たられば読書会」というのがありました。十人程度のメンバーの読書会です。そしてその対象となったのが富安陽子先生『オバケ屋敷にお引っ越し』であり、著者の富安先生が来られたのでした。
下町の駅前商店街の古本屋さんの二階で、わたしは、車座となった十人ほどのメンバーのなかで『ムジナ探偵局』原作者のおとなりに座らせていただき、そのひとと言葉をかわし本の話をすることができたのでした。
そうして『ムジナ探偵局』原作本二冊にサインをしていただきました。
その二冊には自分の本名を入れていただいたのだけれど、そのあとでたられば書店さんが「あなた古本屋さんになりたいんでしょう、ムジナ探偵局がお好きなんでしょう、じゃあ先生に屋号書いてもらいましょうよ」と口添えしてくださり、おふたりのご厚意でわたしはなんと三冊目のサインをいただくことができました。
いまわたしの手元にある『オバケ屋敷にお引っ越し』の見返しには、富安陽子先生のサインと「笙古書店さんへ」というお言葉、そうしてキツネのイラストがあります。
笙古書店というなまえは、祖母が亡くなるまでわたしの名を「笙子」だとおもっていたという話からきたものです。勘違いにしてもきれいな字をあててくれたものだな、じゃあ勘違いじゃあなくしてみてもいいかもなと、「古書店」とくっつけてみました。
それからあともうひとつ、わたしにはうまれてすぐくらいから家族やおさななじみに呼ばれているあだ名があって、そっちを使った屋号も考えていました。
でも、たられば書店さんに「屋号を書いてもらってはどうか」と言われたとき、どうしてかとっさに「笙古書店で」と言っていたのでした。
そのとき屋号は「笙古書店」にきまったし、だからはじめてこの「笙古書店」という文字を書いてくださったのは富安先生ということになります。
さすがに「ムジナ探偵と結婚するために古本屋になりました」とまでは言わなかったけれど、『ムジナ探偵局』のファンであることは富安先生ご本人にお伝えできましたし、そのときちょうど二回めの股関節の手術を控えていたところだったので、「古本屋になりたいけれども足が悪いので不安ではあります」というような話はすこししました。
富安先生がそうですかとおっしゃったこと、たられば書店さんがとてもまじめな顔でなにも言わずにうなずいてくださったことをよくおぼえています。
足が悪いとひとに言うとあまりポジティブではない反応が返ってくることもままあるのだけれど、あのときのおふたりの姿はとても、なんというか、とてもおちつくことができたのでした。
たられば書店さんはどうやらいま長くお休みをされているようで、お店のまえを通ってももいつも戸は閉まっています。
あのときからもう何年か経ってしまっていまさらかもしれないけれど、いつか、あのときはありがとうございましたとお伝えしたいです。
ショップカードやネットショップのトップやSNSのアイコンにキツネをつかっているのは、つまりこういうことがらによります。
ムジナ探偵と結婚とかそういうものはまったくの夢物語だけれども、いやムジナ探偵にも選ぶ権利はあるからねとかそういう現実的なつっこみはさておくとしても、ムジナ探偵のファンであり古本屋になりたいという人間にとって、富安先生がキツネのイラストを描いてくださったのはとても嬉しいことであり、また励みになることでした。
ちなみにサインをいただいた三冊のうち二冊がキツネ、もう一冊は河童のイラストでした。富安先生のファンの方にこらーと言われてもまったくしかたがないくらいとっても贅沢ですね。
読書会で、富安先生は民俗学のお話もしてくださいました。
昔話によくあるパターンとしてはムジナとキツネは化かし合うものですしね、いつかムジナさんに肩を並べられるくらいに立派な古本屋さんにとかそういう野望を抱いてもよいものでしょうかとか、そんな僭越なことをついつい考えてしまうくらいにはいただいたものすべてをとても、とても大事にしています。ちなみに『オバケ屋敷にお引っ越し』にはかわいいタヌキも出てくるのでおすすめです。
おわりに
いろいろととりとめがなく語りつづけてまいりましたが、古本屋になりたいとぼんやり考えるようになってから、たくさんのひとに話を聞いていただき、構っていただき、いろいろとかかわっていただきました。
オンラインショップをオープンしたときも、イベントにお誘いいただいたときも、ちいさい頃から自分で自分のまわりに引いていた、自分にはこれくらいが相応、みたいな線のもっともっと向こうから手をさしのべていただきました。
ちかごろ世間に見聞きする「御縁」なる言葉はわたしにとってはどうにもすこし大層で、なにやら持ち重りがしてしまうのだけれど、、それでも、古本屋さんがんばってますかとかどんな感じですかとかたずねてくださる方や、この本どう?と薦めてくださる方、見守ってくださる方々との、よすがのようなものがあるならそれはとてもありがたいことだなあとおもいます。
オンラインショップをはじめたのが2022年1月末。
いまは、いつかお店ができたらなあというきもちをかためていっているところです。
行動力は牛歩の如くでまあぼちぼち。
できたら北河内、広くても近畿、ちょっと離れて大分くらいでやりたいなあとおもっています。
最近は、やっぱりわたしはこどものころに過ごした町の、たくさんあった古本屋さんのようなお店が作りたいのかなと思うことがあります。
三つ子の魂百までですね。
以上、古本屋になろうとおもったいきさつでした。
ご覧くださりありがとうございました。