声に出して伝えてみろよ
私たちの世界には「以心伝心」という言葉が存在してる。
私は正直以心伝心なんてないと思ってる。
実際に何も言わなくても相手に気持ちが伝わることなんて、ほとんどない。
私からしたら、おとぎ話みたいな世界だ。
心と心で会話ができるなんて、ミラクルガールズのともみとみかげの双子の姉妹くらいだ。
だってそれは漫画の話。
言葉にしないと、相手には伝わらないし届かないっていっつも思う。
その気持ちをきちんと相手に届けているだろうか?
SNSを見ていると、心の中で感謝を感じているだけで満足している人が多い気がして、時々不思議に思う。
正直心の中で感謝しているかさえ疑問に思う。
私の友達には、新しいことに挑戦したいという人がいると、相手が新しい一歩を踏み出せるように影から応援して。周りにさりげなく紹介し続けている人がいる。
普通に考えて、損得勘定抜きでこれができる人がこの世に何人いるんだろう?
彼女はただ純粋に応援したい一心で、人と人をつないでいる。
けれど、その分何度も傷ついてきているし。
自分の心の中に溜め込んだ言いたいことだって数え切れないほどあるはずだ。
それでも彼女は黙って笑っている。
人と人を繋ぐ「便利屋」なんかじゃないのに、彼女の大切な気持ちが、まるで泥だらけの手で踏みにじられることも一度や二度じゃない。
それでも笑っている彼女が、泣いた数のほうが多いなんて、私には絶対にあってほしくない。
誰かが紹介してくれた場所
誰かが紹介してくれた人
商品や自分のサービスをひろめてくれた人
そんなふうに、相手がいて初めて成り立っている自分の場所を
「まるで自分一人の成果であるかのように」
振る舞う人たちを見ると、浅はかで恥知らずで、恩知らずだとしか思えない。
影響力のある人がいてくれることの意味は、SNSでシェアされたり表立って宣伝されたりすることだけじゃない。
何気ない会話の中で自分の名前を出してくれたり、出会いのきっかけを作ってくれたり、セミナーなどで一言触れてくれたりすることだって。
すべてその人の応援であり支え方だ。
そんな人達がいるにも関わらず、自分の成果だ、自分の利益だ、実力だと我が物顔で過ごす人たち。
「いやいや、私なんて。〇〇さんのおかげな“だけ”ですから」という台詞。
どれ程恥ずかしい台詞か気づかないんだろうか。
それは自分のことを卑下してるようで、お世話になったその人を卑下していることに何故気付かないんだろうか。
自分の居場所だけ求めて、手に入ったら相手の存在は無かったことにして。
どれだけその人が裏で、あなたを素敵でこんな人だよと紹介してくれていることさえ気がつかない。
そう、だって想像力がないから。
自分の成功を、ただの偶然や他人の好意の上に成り立つものと見逃してしまう前に考えてみればいい。
あなたはここまで本当に一人の力でやってきたのだろうか?
心の中に「ありがとう」と感じている誰かがいて、それをまだ伝えていないなら。
いつか伝えようと思っているその人も、そしてあなた自身も、明日も生きている保証なんてどこにもない。
だって私たちは
直接、言葉にしなければ伝わらないことに満ちた世界に生きているのだから。
ねえ、ありがとうって伝えたい人にちゃんと口に出して伝えた?
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