
お湯をかけたら、女学生になれますか?
お湯をかけたら、女学生になれるかしら?
6年くらい前、働いていた病院の食堂のテレビで、朝ドラが流れていた。
確か『まんぷく』という、インスタントラーメンを作る夫婦の話。だったような気がする。
「この麺にお湯をかけたら、ラーメンになります」
登場人物がそう言うと、相手が笑って返した。
「スルメにお湯をかけたって、イカにはならないわよ」
私は思わずクスッと笑った。
隣で一緒にテレビを見ていた患者さんも笑っていた。
すると、その人がふと私を見てトントン、とした。
どうしました?という前に、
「ねえ、私にお湯をかけたら、女学生になるかしら?」
思わず、言葉を失った。なんて素敵な発想だろうと思ったからだ。
少しして、「明日、お風呂だから楽しみですね」そう返した。
本当は、もっと何か気の利いたことを言いたかった。
でも、そのときはそれしか言えなかった。
その人は80代の女性だった。
長く入院していて、ベッドに横になっている時間の方が長い。
髪はすっかり白くなっていて、体は細くなっていたけれど、話すときは昔の女学生みたいに、ちょっとおどけて、たくさんの可愛らしさを私にくれた。
「昔はよくお友達とおしゃべりしてね、先生に怒られたのよ」
「運動は苦手だったけど、けん玉だけは頑張ったわ」
けん玉は運動の代わりなんだと、また私を笑わせてくれた。
「お湯をかけたら、女学生になれるかしら?」
その言葉が、ずっと心に残っていた。
きっと、女学生だったころの自分のことも好きなんだろうな。
鏡に映るのは白髪の自分で、細くなった手で、シワが刻まれた顔。
女学生になったら、彼女は何をしたくて何を言うだろうか。
「スルメにお湯をかけたって、イカにはならないわよ」
そう、時間は戻らない。
でも、お風呂に入って、髪を洗って、温かいお湯に包まれたら。
ほんの少しだけ、昔の自分に戻れるのかもしれない。
次の日、その人はお風呂に入った。
私の介助のもとで。
しょうこさんにお湯がかかったら、赤ちゃんになっちゃうかも!
そう言ってまた私を笑わせた。
すっかり温まって病室に戻ってきたとき、満足そうに笑っていた。
「ふふ、女学生になれたかしら?」
「知らなかったんですか?もうとっくに女学生ですよ」
お互いの顔を見て、またふふっと笑った。
私はこの仕事をしていて、何度も思う。
人はみんな、過去も一緒に生きているんじゃないかって。
今ここにいるのは、確かに「今のその人」だけれど、
その人の中には、昔の思い出があって、昔の景色があって、昔の自分がいる。
私に見えているのは、たった一部分に過ぎない。
「お湯をかけたら、女学生になれるかしら?」
もしかしたら、明日のお風呂を心待ちにしていたのかもしれない。
もしかしたら、鏡に映る自分を見て、本当は「ああ、やっぱり無理ね」と思ったかもしれない。
もしかしたら、温かいお湯に包まれて、ふと昔の自分を思い出していたのかもしれない。
私には、その人の本当の気持ちは分からない。
人は誰でも、心のどこかに、変わらない自分を抱えて生きている。
たとえ時が流れて、外見が変わっても。
たとえスルメにお湯をかけても、イカには戻らなくても。
せめて、お湯に浸かるそのひとときだけは。
あなたを女学生にしてみせる。