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悲しい日に真っ赤なバラの花束を

私には、実の母以外に
「ママ」と呼んでいた人がいた。

実の母のことをママと呼んだことはないので、
やっぱり私にとって、その人は特別な存在だ。

ママに出会ったのは、私が16歳の時だ。
アルバイト先の社長だった。

新聞と一緒に挟まっていたアルバイト募集の広告。
一目でやりたい気持ちが溢れ出た。

ベビーシッターのアルバイトだ。
日本でベビーシッターの仕事なんて珍しい。
その募集が気になって仕方なかった。

応募に勇気が必要だったのは、
募集の年齢が18歳以上だったからだ。

結果はどっちでも受けてみたい。
16歳だけど、受けてみよう。
そう思って私は、人生ではじめて履歴書を買った。

とびっきり丁寧な字で履歴書を書いた。
手が震えながら、真っ赤なポストが飲み込んだ。

それから数日後、
知らない番号から電話がかかってきた。

その電話で話した人が、社長でありママだ。

「本来16歳は雇わない予定だったけど、
履歴書が面白かったから会ってみたかった」

ママはそんなことを言っていた。

他の人と同じような内容では、
私は多分採用されない。
そう思った私は履歴書に、
「子育ての経験も家庭を持ったこともないですが、
私は将来看護師になると決めています。
そこで働くことで得られる経験を私にください」
そう書いた。
そしてそれをママが気に入ってくれたのだ。

面接で、合格
そうやってママはにっこり笑ってくれた。

ママはその職場でのニックネームのようなもので、皆がそうやって呼んでいた。

仕事に対してはとても厳しい人で、
ノックの仕方、言葉遣い、電話の対応。
お礼状の書き方まで指導された。

私を気に入って指名してくれる方もいた。
ママはその時、私の時給を上げてくれた。

そして時折いただくチップは、
自分のものにすることに気が引けて。
ママに全て渡していた。

コートのフードまでかぶりたくなるくらいの日。

「はい、これ」
とママから渡されたのは、
真っ赤なバラのイラストが描いてある封筒。

何人もいる福澤諭吉さんと目があった。

「ボーナス。
っていうよりは、
今までいただいたチップをまとめただけだけど。
全額しょうこがお客様からいただいたものよ。
仕事するってきついけどやりがいあるでしょ」
そう言って私にプレゼントしてくれた。

仕事のやりがいや楽しさを最初に教えてくれた人。それはママだった。

高校生から働き始めて、
私は看護学校に通いながら、
ベビーシッターのアルバイトを続けていた。

20歳になって成人式を迎えた日。
私は振袖を着てママに見せに行った。
その姿をとても喜んで、
ママは私に一枚の紙をくれた。
封筒ではない1枚の紙。
開いたら壱万円が包まれていた。

白い紙にバラのイラストが描いてある。
この紙ってなんだろう? 
そう不思議に思いながら、
振袖姿の私はママと写真を撮った。

「あの紙ってお金を包むのに使うんですか?」
後日ママにお礼とともに聞いてみた。

「あれはね、カイシっていうの。
懐かしい紙って書いて懐紙。
食事の時に魚の骨を隠したり、
メモ用紙として使ったり。
心付けの時にお金を包んで渡すこともできるのよ。もう20歳になったんだから、
懐紙くらい鞄に入れておきなさい」

そう言って私に懐紙をプレゼントしてくれた。

これからも、
ママからいろんなことを教えてもらいたいな。

そう思っていたのに、
ママとのお別れは突然やってきた。

ママはガンと診断された。
サラサラのロングヘアががショートカットになり、そのうちウィッグになった。

普段はピンヒールを履いて、
颯爽と歩いていたママの手には杖が必要になった。

50歳という若さでママはこの世を去った。
「もうママには会えないんだ」
そう思いながら過ごしていた日、
ポストに一通の封筒が入っていた。

丁寧にハサミで封を開けると、
懐かしい字が並んでいる。
もう見ることは出来ないと思っていたママの文字。

告別式の招待状だった。
なんて最期までママらしいんだろう。

招待状には、ドレスコードの記載があった。

「カラフルな色で参列すること。黒は絶対に禁止」

その後に続くママからの希望は、
告別式に飾る花はバラの花。
その日だけは、
私のことを思いっきり盛大に褒めて欲しい。
そんなことが書いてあった。

私は鮮やかな色のワンピースを着た。
そしてママの大好きな大好きな
真っ赤なバラの花束を抱えて告別式に参列した。

来ていた人は皆ママのことが大好きで、
知らない人同士でも、
ママの大好きなところを話していると
すぐに打ち解けることが出来た。

大きく飾られた写真のママは、
いつもの優しい顔で笑っていた。

告別式の日、
そこは世界で一番カラフルな場所になった。

私が看護学生のとき、
ママが私にこんな言葉を贈ってくれた。

「医療の世界は祥子が思っている以上に狭いと思う。その世界が全てではないこと。
世界は広いことを覚えておきなさい。
仕事していて楽しい時だけじゃなくて、
辛い時、悲しい時一緒にいてくれた人のこと。
ずっと大事にしなさい。
黙って見守ってくれている人はちゃんといるのよ。そんな人を裏切るような、
最低な女に育てた覚えはないからね」

私が成人式を迎えてから何年が経っただろう。


あの日ママがくれた懐紙を、
私は今でも大切に持っている。
包まれていた壱万円札はいまだに使えない。

真っ赤なバラを部屋に飾ろう。

ママが教えてくれたことを、
ずっとずっと忘れないでいるために。

𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
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