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いただきますとごちそうさま。⑭


「っぽいもの」って、人を病気にする原因になってしまうと思うんです。

バターっぽいもの。
みりんっぽいもの。
塩っぽいもの。
ハチミツっぽいもの。

食べ物じゃなくても、例えば
木っぽいもの。
カシミヤっぽいもの。
親切っぽいもの。
真実っぽいもの。
愛っぽいもの。

いくら似ていたって、本質はまったくの別物。

「っぽいもの」のほとんどは、誰かを思ってこの世界に現れたものじゃない。
もっと安価に、もっと効率的に、もっと手っ取り早くって。
そんな、まったく思いのこもっていないものを沢山摂り入れていたら、いつか人は病気になってしまいます。

最近は急速に、ポスターや広告、テレビ、SNSと、ありとあらゆる場所に「っぽいもの」が溢れてきました。

もう、目の当たりにするたびに本当、気持ち悪くてしょうがない。

なんの感情も伴っていない動画の合間のCMに、なんの情熱も思いもこもっていないテレビCM、観光ポスター…。

それっぽい着物を着た女性が、それっぽい笑顔でこちらを見てるの。
「ようこそ○○へ」って。
なんか気持ち悪いなと思ってよく見てみると、手の形も着物も微妙におかしい。
「ああなるほどAIイラストか」と。
誰かが一生懸命制作してミスをしたのとはまったく意味が違う。
そこに、誰の思いも、1ミリも入っていないっていうのが本当に怖い。
え、あなたのその笑顔は何なの?って。
「ようこそ」って、何処へ連れて行かれるの⁉って笑
感情の伴っていない笑顔って、考えたらめちゃくちゃ怖くないですか?

人が「不自然なもの」「違和感のあるもの」を感じ取る能力って、生存するためにめちゃくちゃ大事なんですよ。
なんか、説明できないし言語化できないんだけど、とにかく気持ちが悪い、怖いって。

言語化できてから判断するんじゃもう遅かったりするわけです。
だから、「なんか変」と感じたら、その理由が自分で分からなくても、とにかく距離を置く。
絶対に「わたしの勘違いかも」で流してしまわないこと。
いったん、わたしへの「っぽいもの」の侵入を許してしまうと、次から次に入ってきて、心が蝕まれていってしまいます。

誰かの意図や思いをまったく経由していない「っぽいもの」たちがこの世界に溢れていくのは本当に恐ろしい。

だけど、もう「っぽいもの」が溢れすぎてて、完全に排除しながら生きることは難しいし、違和感に鈍感な人たちが「こんなもんでいいでしょ」で作った「っぽいもの」を世に送り出すことを止めることもできません。

だから、できるだけそういう無機質なものたちからは距離を置いて過ごすことが、心を健康に保つ秘訣なんじゃないかなと思います。

…と、長々とわたしの「っぽいもの論」でした。

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