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いただきますとごちそうさま。⑯


この、怒りとか悲しみとか、自然に湧き出てきた感情に「大ごとにしてはいけない」「なるべく穏便に」ってすぐ蓋をしちゃおうとする癖、皆さんはありませんか?

私は、「そう感じてしまう自分が間違っている」って思い、反射的にその場をごまかしてしまう癖があります。
そして、後々から、「いや、やっぱり今の相手の反応はおかしいぞ」って怒りが湧き出てきて、でも、今さら、このイライラのやり場がどこにもない!ということがしょっちゅうありました…。

そういう、自分のなかで抑え込んだ怒りや悲しみって、決して消えることはなくって、ちょっとずつ溜まっていくんです。
そして、いずれ爆発する。
それは、過食だったり別の症状だったりするけれど、とにかく、それが噴出したときはもう自分の限界を超えてしまっているというサインなんです。

その時、つい直近で起こったストレスなどが原因で爆発が起こったと思いがちなんですが、実は、その直近のストレスって、噴出を後押しした単なるきっかけに過ぎないんですね。
本当は、もう何年も以前から、「私」のなかに溶岩は溜まり続けていたんです。

大事なのは、自分のなかに自然に湧き出てきた感情を、「間違ってる」「おかしい」って決してジャッジしてはいけないということ。
不快な感情って、人が危険なものを避けるために必要な能力なんです。
だから、「私」が不快と感じたのなら、その反応は、絶対大切にしなきゃいけない。
ワガママだとか、間違ってるとか、そんなんじゃないんです。

それともうひとつ大事なのが、自分が長年、何に怒りや悲しみを感じ、抑圧してきたのか、それをひとつひとつ丁寧に感じ取っていくこと。

漫画にも描いていますが、ほんの些細なことだろうと、ずっと昔のことだろうと、もういちど裁判のやり直しをしていくイメージです。

要は、自分のなかで納得のできない未消化の感情たちが、ずっと異議申し立てをしているような状況なんです。
ちゃんと、もういちど真摯に向き合ってあげないと、過去の私たちは決して納得なんてしてくれません。

だって、過去の私たちは、大切な私を守ろうとして、「それはおかしいよ」って怒りや悲しみを感じてくれていたんです。
誰に無視されたって、私だけはその声をちゃんと聞かなくちゃいけなかった。
本当にごめんねって思います。

私の場合は、おそらく35年以上の膨大な裁判のやり直しを行っているわけですが、思ったほど大変ではありません。
もちろん、過去の怒り、悲しみと対峙するというのは、もの凄く痛みを伴うこともありますが、それ以上に、素直に自分の感情を感じられるというのは、とても清々しいものです。

やっと、この世界のなかで本当の自分を掴み始めたような感覚があります。

だから、過食嘔吐含め、感情の抑圧などによって様々な生きづらさを抱えている人たちは、湧き出てきた自分の素直な感情を大切にしてほしいです。
その感情が、どれだけネガティブなものだろうと、私が私を守ろうとしている大切なサインなんですから。

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