お金さん、はじめまして。改めて。
朝起きたら、サポートをいただいていました。
ものすごく嬉しくて、そしておどろきました。
どうやらわたしの中には、『お金はいつもわたしを悩ませて、苦しめている元凶』という信念があるみたいでした。それが全くひっくり返ったのです。まさにコペルニクス的転回!
実際は、こうして慎ましく?も、人並みの暮らしができているという事は、たくさんのお金がわたしを通り過ぎている、という事でもあります。4人も子に恵まれて、出ていくものは大きいけれど、ちゃんと回っている証です。
なのに、なにをこんなにお金に対して、ガチガチに気を張っているんでしょう!!
思えば、わたしも自分のハートをあらわす方法として、お友達のレストランで食事をしたり、友達作の同人誌や缶バッチを買う事があります。
普段のお買い物でも、生産者さんの応援と言う意識で買い物をするので、大量生産品と比べてみれば高くつくものをあえて買ってるような時もあります。
でも、
自分が受け取ることに慣れていませんでした。
そういえば、人から褒められても、「イヤイヤ、そんな。」なんて言っちゃって、ありがとって、即座には言えてはいません。
「良いことなんかない!」ってムクれながら、さまざまな素敵な事を受け取らなかったのはわたし自身かも、と思いました。
たまに瞑想をします。瞑想の方法で「慈悲の瞑想」というのがあります。
「わたしが幸せでありますように。わたしの大切なあの人が幸せでありますように。世界中の生きとし生けるものが幸せでありますように。」
と、祈る対象を徐々に広げて行くものなのですが、一番最初に自分の幸せを思うって、、、ちょっとしっくりきませんでした。
良いのかな。自分を一番にみんながみんなとおしたら大変なことになっちゃう。と、人の心配までしていたのです!
でも、自分だけの幸せ、は成り立ちません。あるパイの奪い合いで得た幸せは本当の意味での幸せとは言えないのです。
そして、自分が真の幸せを感じていられるならば、誰かにも寛容で優しく接する事ができます。なので、自分に対する祈りは「誓い」のような意味だと理解しました。
自分も自分に様々な良いことを受け取る許可を出して、幸せを選択しないといけません。
「生きとし生けるもの全てが幸せでありますように。」それを使い方によっては、あらわすことのできるお金と言うモノは、とても素敵なシステム!!
改めて感じ考える事ができました。ありがとうございます。