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本帰国までのモヤピーとの戦いと決断。

はじめに


こんなブログを書いてから、約9年。

こんなブログを書いて4年。

そしてこのブログを書いてから、1年。


流れる時の早さよ。


2015年10月21日にベルリンに越してきて、9年が経った。

いまの心境は、今しか感じられないかもしれないから、赤裸々にFreshに綴っておこうと思う。

完全に翔子個人的主観なので、これが絶対ではないので、ふーん、という感じで読んでいただければ。


近年の心境

フランス移住への決意表明!を書いておきながら、1年経った今もまだベルリンにおるんかい!って感じだが、いろいろ心境に変化があった、のでみなさんに報告。

結論、悩み悩み抜いて、日本に留学する気持ちで2024年末をもって、本帰国することに!

もう疲れすぎて、欧州に住むエネルギーは今の翔子にはない。


決意表明をした時は本当にフランスへ移ろうと思っていた。

そこから、ドイツで卵子凍結→モラ男との出会いと別れ(詳細は下記)

→タンザニアへ渡航、と人生が激変する中で、考え方が変化していった。

1:タンザニアが豊かすぎて、欧州生活へのモチベーションの低下

タンザニアが予想以上に素敵な国だった。豊かな食、自然、人、太陽。たった3週間の滞在で得るものは大きかった。物質的には豊かではないが、精神的に豊かな国であった。助け合いの精神がすごい。1分で友達になれる。これから発展していくので、街に活気も感じる。そして、自然と人と地球と一体感があって、びっくりするほど孤独感が全くなかった。人類発祥地のせいか、懐かしい感じもした。ベルリンにいて、常に孤独との戦いなのだが、その気持ちが吹き飛ぶ感じだった。太陽の力は偉大。

そんな国を目の当たりにして、欧州生活で暮らすことに、なんの学びがこれ以上自分にあるのか?自分はハピネスなのか?疑問に感じた。

TINGATINGAを習う翔子


2:欧州の土地のエネルギーが落ちている

コロナからのウクライナ戦争に突入し、欧州のエネルギーはすっかり落ちてしまったと感じる。無論そんな状況だと、移民に排他的&自国ファーストになるのは当たり前。翔子が移住した時代より、物価は1.5-2倍上がった。(EUR自体が130円くらいから170円ほどに爆上がりしているし)ガス代なんて、一時は60EURくらいから250EURほどに一気に跳ね上がったこともある。治安も悪化した。個人的な主観だが、混沌とした時代の中で、余裕がない人が増え、以前よりイラピー度は上がり、社会がギスギスしている感じはする。ドイツの社会も経済も、伸びていく明るい気配は見えない。スタートアップの状況も、翔子がきた2015年代はまだイケイケの明るい時代だったのだが、かつてのような活気は減った。なにもかも、タンザニアと真逆の状態に感じる。よっぽどこの国が好きで、この国で学びたいことがある!やりたいことがある!というものがないと、何もかも日本よりworseなので、しんどいと思う。

個人的には、ドイツよりフランスの方が翔子にカルチャーフィットしているし、学びたいコンテンツはちらほらあるのだが、たとえ国を移動したとしても、移民であることには変わりないので、今の重い欧州のエネルギーでは、ベルリンと同じようなことを繰り返し、どちみち苦労はするだろうなと感じた。いまの翔子に、それをサバイブするエネルギーはもうない。

3: 欧州から学ぶことが、今の自分にはもうない

海外生活に憧れて、9年欧州に住んでみて感じたこと。日本で味わえないたくさんの経験と学びを得たのだが、(かなり雑にまとめて申し訳ないが、もちろん国によって細々違うが)全体的に欧州は「精神的な豊かさが乏しい」と感じる。食、デザインなど、各フィールドで学びは無論あるのだが、やはり日本と比較すると、社会全体に、我先に!という自己主張が強すぎて、他人への配慮が乏しい。それは、生きていく上で、美しいとは思えない。東ベルリンに住んでいるので、歴史的な影響があると思うのだが(秘密警察が市民を監視していた時代が長いから)、根底に「人が人を信頼していない」のをとても感じる。ドイツは特に、率直に意見を言うことで表裏がなくサッパリしていていい部分もあるが、はっきりクレームをしないと生きていけないという文化があり、やたら文句を言わないといけないので、心が疲れる。

翔子は、インド、タンザニア、エジプトなど、宗教色が強い国から精神的な学びを得ることが好きなのだが、9年間ベルリンで生活してみて、さすがに飽きてきて、これ以上ここで何か精神的な学びを得ることは、今の自分にはない気がしている。一旦、欧州との距離が必要。

4: 日本に戻った方が、今はもっと社会へ貢献できそう

何もかもわからないピヨピヨ29歳の翔子から、ドイツ社会に飲まれ、フリーランスでサバイブし、地球をウロピーして、何とか生きてきて、9年経った。いろんなことがありすぎて、かつてとは比べ物にならないくらい、濃く、熟成し、たくましい人になったと思う。英語も前よりは話せるようになった。欧州で英語を話せることは、当たり前すぎて呼吸に等しいのだが、日本社会の方がアドバンテージがある。

毎度帰国するたびに思うのだが、翔子の海外サバイブ体験を話すだけで、人に刺激とインスピレーションを与えている模様。9年貯まった経験と視野は、誰かのどこかの価値になりそうなので、もっと母国で根を張って共有したいなと思うようになった。今は欧州より母国にいた方が、大きな貢献ができそうな気もする。


モヤピーとの葛藤

淡々と上記について書いたのだが、しかし、本帰国決定まではモヤピーの乱がすごくて、長年本帰国をどうするか、自分はどこに居場所があるのか、かなり葛藤があった。ほんとうに、ほんとうに。

ドイツがフィットしないのは滞在3年経って明快だったのだが、本帰国はなかなか決断できなかった。

日本の社会がフィットせず、嫌で飛び出してきたが、ドイツも肌に合わなくて馴染めないことが住んでみてから判明。

インターナショナルマインドセットをインストールしてしまった自分は、今日本に戻っても、もはや9年前の自分より、一層日本社会で生きにくくなってしまったのでは?戻ったらより辛くなるのでは?という恐れ。

かといって、ドイツ語も勉強したけど、ドイツ語好きになれないし、好きな箇所もコネクションも全くないドイツの社会にもこれ以上馴染めない。

ここ欧州で、家族を築いて、根を張ろうと思っていたのに、そう思って日本を飛び出してきたのに、一番思い描いていたことは、全然現実にそうならないし、根が張れない。

何のためにきたのだろう、何しにきたのだろう。

自分の居場所がなくて、HOMEと言えるような心落ち着く場所がなくて、探しても地球上にもうどこにもない気がして、暗い海の中を漂っているクラゲのように、ドイツに来てから数年間、孤独感がすごかった。

自分の住んでいる都市が好きで、根を張っている人たちがすごく羨ましくも思った。

日本にいた時は、海外になかなか移住できないことがモヤピーだったのに、海外に来たらきたで、日本では想像もつかなかったモヤピーが日々やってきた。

海外に来たことで、悩む選択肢が一気に増え、こんな悩みのモヤピーが増えるなら、日本にいた方がマシだったのでは、、と思うこともあった。


モヤピーの晴れ

悩みすぎて、いろんな人に相談して、一周して、

「本帰国」を大袈裟に深刻に捉える必要はないな、もっと軽く生きよう。

いま居たいところにいればいい。

日本に戻っても、また海外に行きたくなれば、行けばいい。

永住権なんて固執しなくていい。

VISAなんてアプライすればいいのだから。

風のように、軽やかに生きよう。

と思うようになった。

また、自分がHOMEと思う居場所も、

国や都市を探すのではなくて、そんなの探しても見つからないから、

翔子と波長が合う人たちのコミュニティーを世界中につくる

ということに考え方へシフトさせていった。


そうすると、気持ちが楽になってきて、
あれほどあった孤独感が、少しずつ溶けていった。

翔子のサファリ王国を、世界中に作ろう

このnoteの3.7万人フォロワーのコミュニティーも、
翔子のサファリ王国の1つ。

いつもありがとうございます🥹


さいごに

そんな感じで、軽やかな気持ちで、一旦ヨーロッパの家を片付けて、日本へ帰ろうと思う。

留学しようかな、という気持ちで、まずは日本を拠点に。

翔子のことだから、日本のことも飽きて、また数年したら海外に住みたくなるかもしれない。(おそらく、きっとそう)

そしたら、その時考えて、行動すればいい。


9年前は、もういいかな、と思っていた日本も、

外から眺めると、美しく、素晴らしいところがたくさんあって、

いまは日本から学びたいことがたくさんある。

食文化も、長い歴史も、精神性も。


今は、9年間のものを片付けるので精一杯なので(無事帰国することが今年の大きな目標!!!)、これからどうするとかほぼ考えていないのだが、日本に戻ったら戻ったで、NEO 3.0に進化した翔子を、みなさま応援よろしくお願いいたします。


とういうわけで、また気が向いた時に、帰国前に、思ったことを綴ろうと思う。


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ベルリンのしょこたん
みなさまにSpiciiを発信し、届けるためにいろんなとこへ行ったり、ベルリンでサバイブする資金にいたします。