もので埋める幸せに終わりがない
私が20代前半だった頃
手取り20万円以下
アパレルに勤めていたので
そこからお洋服代が毎月4万弱引かれる
(もちろん自分が好きで買い漁っていたから自業自得なのだけどね)
手元に残ったもののほとんどは
飲み代か遊びに消えていき
そりゃあ
給料日前になると3桁しかなく
あと数日の生活はどうしたものかと考えることもしばしばだった
当然貯金なんてものはなかった
気に入ったお洋服は色違いで買い
仕事で着ていた服が汚れたら速攻で新しい洋服を買った
買ったら満足で1〜2回着れば箪笥の肥やしになっていたことが
ほとんど
今思えばものと食と遊びで
寂しい心の穴を埋めようとしていたのかもしれない
私は3人姉弟の真ん中に生まれました。
姉と弟は趣味も合い仲が良くいつも一緒に遊んでいました。
私は必然的に1人で遊ぶこともしばしば
というか幼少期を思い出せば
母にお弁当を作ってもらい1人で裏庭で食べていたという景色が
容易に思い出せるほど
ひとりぼっちという思い出が濃く私の胸に刻まれているのだ
もちろん一緒に遊ぶこともあった
だけど前述の記憶が強烈に刻まれ
長い年月の間に自分で勝手にその思い出に付け足しをしているのかもしれないけど
まあとにかく孤独だったのかもしれない
物欲主義
大人買い
衝動買い
資本主義
物欲にまみれた現代人は
どこまで行っても埋まらない幸せを求め続けて
心が枯渇していき精神を病む
現に20代、私の心は常に不安定だった
不安定になる必要なんてどこにもないということさえも気づかずに
自ら不幸な人間を図らずも演じていたのかもしれない
3食困らず、仕事にも彼にも恵まれ
はたから見れば、というか世界的に見れば十分すぎる幸せを
持ち合わせていたのに
そのころは欲が埋まれば幸せになると
信じきっていたのかもしれない
本質を見失い
欲にまみれ
どこまで行ってもゴールに辿り着けず
心をすり減らしながら
ボロボロになる必要なんてどこにもないのに
そんな人生馬鹿らしい
どんな状況であれ
自分が幸せかどうかは自分で決められる
服を買わなくたって
飲み歩かなくたって
友達がたくさんいなくったって
幸せかどうかを決めるのは
他の誰でもなく
自分しかいないのだ
比べる幸せは所詮見せかけの
ハリボテ
大事なのは
自分の中心
自分の中の今
この
今ここを感じ
その幸せを噛み締めた時
初めて満たされ
幸福の中に足を踏み入れる
そう
生きている今が一番フレッシュなのよ!って
ここまでに至るまで
長い道のりだったけど
過去があっての今なのだから
決して無駄ではなかった
そしてこれからの未来を作るのは
l今
さぁ今に目を向けていこう!
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