マイストーリー⑤ ボロボロのワンオペ生活、葛藤を抱えた私がはじめたこと
自分の家を、ママと子供、家族一人一人にとって
「自分はありのままで愛される大切な存在」
と心から安心できる場所にしたい。
どうやって私がここにたどり着いたかを綴っています。
マイストーリー①~④はこちら↓
マイストーリー①淋しい幼少期と4校通った小学校時代
マイストーリー②単身渡米、住居の道へ
マイストーリー③ 結婚、小さな新居でみつけたもの
マイストーリー④ 2人目出産、夫単身赴任、完全ワンオペになった私
*
夫が単身赴任になって最初の半年、
毎週のように小児科に通っていた。
お父さんがいなくなった3歳半の息子は、
季節の変わり目で2カ月ほど咳がとまらなかったり
胃腸炎やインフルエンザになったり。
それが1歳すぎの娘にうつり、
私も原因不明の咳が1カ月半ほど続いたり
副鼻腔炎になったり。
私たちの体調が落ち着いた頃、
コロナがやってきた。
外に遊びに出かけるどころか、
スーパーの買い物でさえも行きづらくなり
私のワンオペ生活はさらに追いこまれた。
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単身赴任になり、1年が経とうとしていた頃。
娘は、相変わらず朝まで寝てくれないけど、
ワンオペ生活も少しは慣れてきたかな?
生活のベースが大変すぎて、楽になるというより
「大変なことに慣れる」という方が正確かも。
変わらず「私ばっかりが大変!」と思ってた。
こんなの、全然幸せじゃない。
*
冬の寒い日、珍しく東京で雪がふった日に
私は「大腸憩室炎」というお腹の病気になった。
私が、寝こんでいたら、
「おかあさん、ごはん~、ごはん~」
娘が涙をぽろぽろこぼしながら、
お腹がすいたことを教えてくれた。
私は、お布団からはいでて、
冷凍していたごはんを温めて、娘にだした。
こういう時、大人が一人だと本当につらい。
夫が帰ってきた週末に病院に行って
本来なら入院のところ、家庭の事情をはなして
なんとか自宅療養、毎日通院して点滴をした。
私は、お布団のなかで泣いていた。
「もう、こんなの絶対にイヤだ」
絶対安静といわれて、家では家族にごはんを作ってた。
私は、治るまで食べられないのに。
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それでも、
初めて休めたことでエネルギーがわいてきたことと
「イヤ」の限界がこえすぎて
私は、痛みがなくなって完治までまちきれず
家のなかを整えはじめた。
結婚した当初の小さな家を片付け、
自分たちなりに整えたことを思いだして。
少しずつ。少しずつ。
引っ越して2年以上たっていた家を
数カ月かけて
自分たちが暮らしやすい家に整えた。
素敵な響きではないけれど、
「(私が)イラっとしないこと」を基準に
モノをへらしたり配置を変えて、暮らしやすさに近づけた。
*
ママだって「イヤ」って言っていいんだよ。
ごはんを作るのがイヤ
片づけるのがイヤ
洗濯物たたむのがイヤ
子供の相手をするのがイヤ
お布団からでるのがイヤ
私ばかりがしていたこと。
私は、やっと「イヤ」と言えるようになって
その自分の「イヤ」をどうするか?
をとにかく一生懸命考えて
私なりの工夫を生活のなかに落としこんできた。
少しでも楽になりたくて
家のなかでイライラするのがイヤで
暮らしやすい家に整えるために動いたことが
自分のために、
泣いている自分のために
行動したことが、
私にとって大きな一歩だった。
こうしてボロボロだった私が、
少しずつ元気をとりもどしていった。
マイストーリー完結 私が伝えたいこと「自分の家を心から安心できる場所に」に続きます。