あいちトリエンナーレ2019
9/22(日)
始発の近鉄特急に乗り、名古屋で乗り換えて、豊田市へ行きました。
豊田市美術館に入った途端、寝不足で急激に体調が悪化し(展示内容とは一切関係ありません)残念ながら、展示はほとんど観られませんでした。
外で休んでから、とぼとぼと駅へ移動しました。高嶺格、アンナ・ヴィット、小田原のどか、トモトシの作品はなんとか拝見することができました。
円頓寺商店街に移動した頃から、少しずつ回復しました。四間道・円頓寺エリアはKYOTOGRAPHIE に少し似ていました。スタッフの方々がとても優しく助かりました。
梁志和(リョン・チーウォー)+黄志恒(サラ・ウォン)の「たまたま写り込んだ無関係な人物」への丁寧なアプローチや、洪松明(ソンミン・アン)& ジェイソン・メイリングのPowerPointでつくられた作品で思わず笑ってしまい、元気になりました。葛宇路(グゥ・ユルー)の活動と道路標識については初めて知り、驚きました。
伊藤家住宅での展示のためにつくられた津田道子の映像作品《あなたは、その後彼らに会いに向こうに行っていたでしょう。》は、とても居心地がよかったです。見る視点と見られている視点が行ったり来たりすることで、自分が鑑賞者である意識も揺らぎ、リラックスして部屋に長居することができました。
広大な場所で《声枯れるまで》叫ぶキュンチョメの映像作品は、ビルの奥まった場所の、更に奥の部屋で上映されていました。開放的で前向きな気持ちと、他人の個人的な部分に踏み込む痛みの、両方を感じる展示でした。
9/23(月祝)
映像プログラムの整理券を受け取り、愛知芸術文化センターと名古屋市美術館を観て回りました。
出展作家を細かく調べずに行ったので、以前から気になっていた永田康祐、澤田華、加藤翼の作品を観ることができて嬉しかったです。
石場文子はふたつのシリーズが展示されていて、どちらも羨ましく思いました。去年は写真を習っていたのに、このような発想を持たなかった自分が悔しくなりました。
菅俊一の《その後を、想像する》は、個室のような場所で展示されていた効果もあって、いつまでも観ていたかったです。
伊藤ガビンの《モダンファート 創刊号》も隔離されていて、確かに没入でき楽しかったのですが、金魚の映像はあまり好きではないので少し気持ち悪かったです。
ヘザー・デューイ=ハグボーグの《Stranger Visions》で知った最新技術は衝撃的でした。理系学部出身で、海外ドラマやミステリーが好きな母にすぐ報告しました。
キャンディス・ブレイツや藤井光の作品では、"演じなおすこと" の効果を考えさせられました。特に、難民へのインタビューと俳優による再演で構成されたブレイツの《ラヴ・ストーリー》に心打たれました。もしも自分や家族や友人に危機が迫った時、私は行動できるだろうかと不安にもなりました。
時間の都合もあり、映像プログラムは吉開奈央《Grand Bouquet》だけ拝見しました。力強く印象的でしたが、私は吐きやすい体質なので、観ているのがつらかったです。
「表現の不自由展・その後」を含め、いくつかの展示はまだ公開中止していました。展示会場の前で作品の説明を読むだけの、とても寂しい時間を何回か過ごしました。
この旅行の前後にも、状況は刻々と変化していました。Twitterのタイムラインは、あいちトリエンナーレと表現と助成金に関する言説で溢れかえっていました。一生懸命考えても、私にできることは本当に少ししかなくて、申し訳なさばかりが募りました。最後に全ての展示が再開されたことは、観に行けなくても嬉しかったです。