取扱説明書ではないけれども
この1年で記憶に残る楽しい思い出をたくさん作ったからか、思い出になった記憶に香りが結びついていることがかなりあるらしい。なので、何らかの食べ物や飲み物の香りで印象的な出来事を思い出すといったことが実はめちゃくちゃ多い。そして割とそういう食べ物や飲み物は写真が残っていることがほとんどなので、写真フォルダから探し出すと日付がわかる。そうなると大体こんなことをして過ごしていたなと気づくので、それで勝手に元気がもらえるということが割とある人だ。
人と話すのは好きだが、なんだかんだで1人の時間を好む。部屋に1人でいたい時間と外に出て1人で過ごす時間の両方が必要なタイプの人でもあるので、我ながら金のかかるニートだと思う。しかも高校が遠かったためか電車での遠出を厭わないタイプの人間になっており、そろそろ都心部の地下鉄や私鉄にも詳しくなりたいと切に願っている。ただそういうものに限って(自分でも不思議に思うが)、他人から学ぶ気はそうそうなく全て自らの実体験からしか学ばない。「全ては自分が元気な時に見て知る」という言葉で表すのは簡単なようで重く、また多少行動への後悔もあるが、その時にその行動で心が落ち着くならそれで良いと自分に言い聞かせている。
外出するとして、お店での座席はわりかし隅っこかカウンター席を好む。隅っこと言っても出入口が気にならない場所だとさらによい。人の出入りがどうしても気になって敏感に反応してしまうので、あまり神経質にならない場所を好む。店員さんに案内されるタイプのお店でこの手の席を選んでもらえた時は正直勝ったと思うほどだ。だから牛丼チェーンやラーメン屋のカウンター席、それからコンビニのイートインはわりと嫌いじゃないし、むしろ結構な頻度で利用している。
先日、とあるファミレスで人間観察をしながら1人呑みを敢行した。夕方から主食と飲酒の順番を間違えて思いっきり赤くなった私が言えないけど、目の前には2人席に見合わないレベルの大荷物を従えた怪しいおばさまが1時間以上いて、ちょっと怖かった。とは言え若い子達の前で1人呑みを敢行して執筆をしながら過ごす時間は意外と悪くないし、イヤホンさえあればゲームをせずとも落ち着いて座っていられるから寧ろ良いのかもしれない。この1人呑みがまさにそうだが、人と会っていなければ寂しいと思う割に人の声さえ聴けていれば安心する場合もある。YouTube、ツイキャス、Xのスペース、ラジオ・ポッドキャストの視聴・聴取や音楽鑑賞もそうで、とどのつまりある程度の静かさは求めるけど無音は嫌だ、でも音がたくさんあってもダメだ、じゃあなんなんだとよく思うけど、結局は自分のネガティブな思考で脳内が満たされていくことに対しての嫌悪感みたいなものが根底にあるんだと思う。
しかしまぁ、シメがカルボナーラってなんだよ。
でも、きっとそんな経験が26歳児の私をより大人にしてくれると思えば少しマシなのかもしれない。
……いや、ホントにそれでいいのか!?