時々、友達や知り合いから「Noteのこの文章、読んだよ」と連絡がくる。受け取ってもらって、連絡がくるということが、とってもありがたいことなのだと感じている。このところの書くスタイルは、自分の調子がいい時もよくないと思っている時も、ひとまず外に出してしまうというものなのだけど、ふとした瞬間に届く、「読んだよ」という声に、意外と自分が支えられているのだなと思う。それは私の存在の切れ端を受け取ってくださっているような感覚だ。
評価されるかどうか?という尺度とはまた違うような感覚が生まれている。調子が悪い時にもいい時にも、存在を受け取ってくれるという人がいると、なんだか、次のアクションにチャレンジしやすい。
世の中でどういう意味で語られているかはともかく、私は支えられている感覚があるのだよね。それは支援だ。受け取ってくださるということが、存在を認知する支援になっている。ネット上で文章を発信しても、それぞれの方の人生において、どのように受け取ってもらったのかは、こちらからは見えない。届いているか、届いていないかをPV数のような数的な指標で計りたくもなるが、「読んだよ」という声があると、数値でしかなかった「読んだ人」が急に現れて、ぬくもりを感じる。
もちろん。読んだからといって、好ましい反応が返ってくるばかりではない。特に昨年には自分の至らなさも相まって、否定的なフィードバックを返し続けてくる方もいた。(否定的だと受け取ってしまう自分の防衛反応が生じていた。)それでも、全く反応がないよりかは、よかったのかもしれないと思う。結構苦しいフィードバックの連続で、結局仲違いしてしまったのだけど、その関わりからいくつも学びがあった。ありがとう。
さて、そんなことを思いながら、今日も、明日も、ひとまず書き続けてみようと思う。今日も読んでくださって、ありがとうございました。