居る場所をフレッシュに眺めるための一手間
水俣の創作滞在場所を朝から掃除していました。使わせて頂いた台所全体、トイレと共用の部屋を掃除機がけし、雑巾で床拭き。終わった時には、すっきりとした気持ちになりました。
水俣の創作滞在の場所はたまたま自分の手元からお金が巡ることで成り立っている場所です。つまりは家賃を払っているのですが、そもそもお借りしているという感覚で成り立っていて、自分の思い通りにする場所でもないという認識のもとで使わせてもらっています。お借りしているのは誰から?と聞かれると、まずは大家さんなのでしょうけど、そもそも大前提は地球からお借りしているということを忘れずにいたいです。
地球を共生の場所として見た時に、ありとあらゆるものを共有物として差し出して頂いている、つまり日々贈与を受け取りっぱなしです。なぜだかわからないんですが、巡礼生活を行っているうちに、共用のものとして差し出していただいている場所を調えることは喜びにつながりやすくなりました。
掃除することは、物を捨てることに重きが置かれるのではなく、場を整えることであり、より良い巡環が起こるように、風の流れを通しやすくしたり、物が呼吸しやすいようにしてあげることなのかもしれないと思っています。
空間を調えることは同時に心を調えることだと思います。場を初期ポジションにリセットすることで、心に句読点を打つ。今回の掃除はそのような体験でした。
この巡礼の旅路では、生活をリセットすることが自然と目の前の瞬間に組み込まれています。1箇所に居着かず次なる地に巡っていくという生活習慣は、場所や出会う人たちをフレッシュに眺めるきっかけになっています。
たとえ1箇所に滞在する時間が長くなるとしても、日々リセットして、心をフレッシュに調えることができれば、新しい場所として見続けることができるのだろうなぁと思いました。