旅をせずとも、旅をする。
巡礼生活をしているうちに、自分の枠外から泊まるご縁が巡ってくるという感覚を抱くようになった。
今、一箇所に留まっていて、この地域から出たのは1回しかない。2駅先とかであれば、何回も行ったけれど、少し遠くとなると、その1回だけだ。そうなると自然と泊まる場所は、一箇所になるのだけど、前滞在していた時の泊まり方と感覚が違うらしい。
以前は、同じ場所に泊まっているという感覚だった。場所は動いていない。しかし、今回の滞在では、泊まる場所が毎日巡ってくるという感覚になっている。
おそらく、たくさんの家々を巡ってきた体験がそのような「一箇所にいるにもかかわらず泊まる場所が巡ってくる」という感覚を引き起こしているのかもしれない。移動モードの時によくあるのは、「今日の夜泊まる場所が決まっていないという状況」だ。20時ぐらいに決まったことも何十回もある。むしろ、泊まるところ(屋根がある場所)が見つからずに結局野宿したという経験も20回以上はあると思う。野宿の場合はさておき、泊まる場所が決まる時というのは、人と出会うこと(もしくは出会い直すこと)とセットで、さらにはたどり着く家というのは行ったことがない新しい場所の連続だった。
さて、今はどうだろうか。一箇所の場所で、毎日同じ天井を見て目を覚ます。1日を終えると、同じ天井を見て眠りにつく。こういうふうに記述すると、泊まるご縁が巡ってくるという感覚はそれほど浮かばない。
しかし、どうだろうか。そもそも今日の”この場所”には、今日しか出会えない。この場所の柱も畳もみんな経年劣化のうつろいの中に在る。昨日とは違うのだ。自分自身が1日歳を取り、一番フレッシュな老化の最前線に立つ時、”この場所”もまた、かたちを変えてしまっている。
両者ともに変化をしている。その変化後の部屋に出会う。毎日毎日出会い直す。そんなふうに書くと、同じだと思っていたものは同じではなく、新しい状況が私を包んでくださっているようだ。
一期一会の感覚をどれだけフレッシュに調えていけるだろうか。そんなことを思う。出会いがないありきたりな毎日を過ごすのではなく、変化し続けているものに出会い直す日々を送る。それはかけがえがなく、感動に溢れているものに違いない。
今日の夕方の日の差し方が素晴らしかった。特に美しいと心に届く瞬間は、否応無しに、私が世界に一期一会だったことを思い出させてくれる。
毎日こうは思えないのだけどね。巡礼生活で学んだことの一つは、知識としては少ないかもしれないけど、心をフレッシュに調える大切な視点だったと思います。ありがとう。