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次々に巡らないお布施の生活

さて、今日はお布施と住む場所について書いてみようと思います。ここ数年で住む場所が変わってきました。

特に2021年からは、泊まる場所のご縁を受け取って生きてみようという流れを生きています。(仏教クラスタの方へ→無財の七施の「房舎施」を受けることを日常生活でやっています。)

これまでの住む場所の流れを振り返ると、このような感じです。

2021年7月以降〜2022年8月:同じ場所に3泊以上泊まらない、次々に巡る生活

2022年9月〜2023年8月:心身の調子を崩した2022年の9月以降、パートナーさんと一緒に借りているアトリエにいる時間が長くなり、1拠点+多拠点生活(アトリエに居ない時期には、以前のような次々に巡る暮らし)

2023年4月〜現在:むやみやたらに多くの場所に泊まることを手放し、複数の場所に滞在させてもらう形へ。特に由布院の宿がメインの滞在場所である生活

この半年でラッキーなことは、自由度がめちゃくちゃ高いお宿に滞在させてもらっていることでしょうか。お宿の清掃をお手伝いすることがあるのですが、泊まらせてもらっている対価としてやる、という感じでもないんですよね。ゲストハウスなんかでは、午前中に手伝って、後は自由に過ごしてOKという形態のところが多いですが、そういうわけでもありません。一宿一飯の恩義というものが崩壊してしまった世界に生きています。

泊まらせてもらうことに対して、お金で精算するわけではなく、
かといって、それに対して、身体を動かす労働で精算するわけでもない。

そもそもオーナーの方がそういう考えから離れてしまっていて、とてもいい距離感で関わることができるんですね。オーナーの方からは「いろんな人がいてもいいよね」ということが雰囲気から伝わってきます。大変ありがたい存在です。逆にそういう感じだと手伝いたい時に手伝うことにも意欲的になります。縛られる感覚が生じづらい環境を作ってくださっていることに感謝です。

さて、住むということに関して、私が志向してきたのは、「たった一つの場所にいなくてはならない」という考えの分解でした。私の場合は、一つの場所に多額の家賃を支払い続けることは、精神的な負荷が高いので、一度手放しました。

現在は、パートナーと一緒に借りている九州のアトリエ があり、そちらの家賃は払っていますが、とっても安いのでそれほど負担にはなりません。

そのアトリエ に居ない時期があるので、有効活用できればとも思いますが、『ウォールデン 森の生活』を書いたディヴィッド・ソローの「人間が裕福かどうかの判断は所有している品物を手をつけずに放っておける量で決まる」という言葉を鵜呑みにして、あえて置いておくことにしました。

時々、「出家」という言葉を実際の家に引き付けて考えることがあります。世の中、あまりにたくさんの家があります。それらの家をみるたびに、とりあえず、自分の家として考えみます。犬も歩けば、棒にあたる。ひとたび歩けば、家に当たります。自分の家だらけです。とっても大きな家です。地球の裏側までつながっています。歩いていく散歩道は廊下みたいなものですね。自然との触れ合いは縁側で。いい風が吹いてきますし、日差しの入りが素晴らしいですね。

実際に”そういう感じ”で過ごしていると、「”部屋”に入っていいよ」という人が現れます。特に「自分の”部屋”は手放しています」ということを表明すると、じゃあ「お部屋をどうぞ」となるわけです。大変ありがたい方々です。それはお部屋が広い人たちだけがそのように言ってくるわけではありません。とてつもなく大きな家に住んでいても、”部屋”に強固な鍵をかけ、外部の者を受け入れないところはごまんとあります。

私も、部屋をずっと開けっ広げにしておくべきとは全く思わないですしね。風や光が入るように、時々、開けてみる。換気をする。適度に開け閉めができるということが大事なのだと思います。

こういう感じで、いろんなところに立ち寄るようになってから「外付けイトコ」という言葉が誕生しました。

イトコですから、普段、仕事を一緒にやったり、活動を共にするわけではないけれど、時々会うわけです。実際の血縁ではないわけですから、外付けなわけなんですけど、イトコみたいな感じでフラットに関わるような、そういう関係が生じています。ちなみに以前は、社会の孫感が強かったですね。「たーんとお食べ」というおじいちゃん、おばあちゃんたちによって、生かされておりました。関係性の変化もとても興味深く思っています。

あと、出家ということなので、生産活動から若干浮いた動きをしています。この話はお宿に泊めてもらっている時に、「これをやったから、対価としてっこれを頂く」とか、逆に「これをもらうから、対価としてこれを払う」とか、そういう交換の原理から浮いて振る舞うことが多いです。

若干浮いたと表現しているのは、交換の原理を全く採用しない生活をしているというわけではないからです。たとえば、食糧をスーパーに買いに行くことがありますし、特に泊まる場所の話でいうと、お金を払ってホテルやゲストハウスに泊まることもあります。交換という事象から完全に自由なわけではありませんが、それしか選択肢がないという状態に陥らないように気をつけています。「この選択肢しかありえない」という意固地な姿勢ではなく、この選択肢もあるし、この選択肢も取ることができる、という選択肢の自由を適度に生み出すようにしています。

「次々に巡る」お布施を原則とした生活をしていた時は、とにかく人との接触回数が生存する上で重要でした。たとえば、その結果としてご飯を食べる機会がやってきたり、泊まる機会がやってきたりしました。

次々に巡らない生活になると、前ほど人と会う機会は多くありません。外からやってくる食住の縁も少なめです。(泊まる場所がある時に泊まっていいよという話が沸き続けても対応することができませんので、必要な時に適度にそういう話がやってくるように発信内容を調整しています。)

今のお宿の滞在では、ご飯は自分で賄うということが基本ですね。でも、時々、食べに行く機会が生まれたり、バーベキューに混ぜてもらってご飯を頂いたり、そういう機会がポン!と生まれます。最低限の食料を調達するためのお金は頂いたお金から工面するようにしています。畑をやるとか、農家さんの手伝い(体を動かすお布施)をすれば結果として食料費は下がると思いますが、現状は食べ物はお金で買うことが以前よりも多いです。

巡る時期と巡らない時期。両方を体験しながら、結局はその時々で心が求めるあり方に近い環境になるように努めています。

なぜ次々に巡ることがひと段落したのか

ここまで書いてきたように泊まる場所が増えていく生活のあり方から、泊まる場所がそれほど増えず、安定した複数箇所で長く時間を過ごす生活のあり方にシフトしてきたのかというと、2023年になって本格的に”作品づくり”をし始めたことが影響しています。

今年になってやり始めたのは、テキスタイル・アートの制作です。これまで、2年ほど、布を頂いてきました。実際の布ですね。それらは着ている作務衣に縫い付けていっていました。実際にお会いしたことがある人は、どういうものか見たことがあるかもしれません。

そうしているうちに2023年くらいから「何かに守られている感覚」が身体から生じるようになりました。おまもりのような身体感覚が誕生してしまいました。

その感覚が生じ始めた後、「その感覚を作品として他の人も体験できるようにしていこう」と思い始め、実制作を開始したという流れです。

それに伴って、布を保管する場所や布を静かに縫い続ける環境を必要とするようになりました。しかし、すぐにその生活に移行できたわけではなく、関わりがある方々のうち、精神的にも物理的にも余裕のある方々との関係の深まりを通じて、安定感のある滞在を複数箇所でさせていただくような形になっています。


制作に使わせて頂ける拠点との関わりも、契約して固定化しているものではないので、その時々で距離感が変わると思いますが、変化の流れを感じ始めた時に、新しい形に移行していけたらと思う次第です。

いつも関わって下さる方々、ありがとうございます。
おかげさまで生きています。

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三浦祥敬(しょうけい)@アートプロジェクト・fuwatari
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