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「お米を渡したい」

福岡に行くよ!とSNSに投稿すると、以前、昨年の6月に出会い、泊めてくださった方からそのような連絡が届いた。にわかに令和の米騒動が頭の中で起こる。過去の米騒動は米を持っている裕福な家に打ちこわしにかかり、米をぶんどっていくというものだったろうが、令和の(三浦の)米騒動は、マイルドなものだ。米を贈る方も受け取る方も、どちらもが喜ぶ形を模索する。私にとって、米は大事だ。ありがたく受け取ることにする。

相手にとっては、お米を渡したいと思っていたものの、できれば直接渡したいと思っていたらしく、米渡し欲が生まれてから、メッセージを送るまでタイムラグがあったらしい。自分が福岡にやってくることがきっかけになり、メッセージをするスイッチが入ったようだ。久々に会うその方は、以前と変わらず遊びの達人だった。米を贈るということも遊びの範疇に位置するものなのだろうか。

無事お米を頂いた。山に行こうと呼びかけられ、近くの山に制作途中の山小屋へと行くことになる。切り開かれた山の一部には太陽の光が差している。葉っぱが揺れながら、太陽がチラチラと顔を覗いていた。まず腹ごしらえだ。焚き火をつけて、簡易のご飯を作って食べた。焚き火は良い。この部分にも江戸時代の米騒動とは違う火の使い方を感じた。

切り開かれた山の道は、キラキラと太陽の光を反射し、ゆらゆらと揺れている。もう見ているだけで心地がいい。ザクザクと落ち葉を踏みしめながら、歩く。小さい枝はパキパキ音を立て、心が弾む。山に帰ってきたという喜びが身体を包んだ。

米騒動から始まり、なぜ山小屋を作っているのかわからないが、こんな日もある。山小屋づくりをひとしきり手伝うと、山を降りて、その方のおうちのガレージに戻ってきた。珈琲を入れてくださって、一緒に珈琲を楽しむ。先ほどいた山を見ているだけで、心が愉しい。適度に身体は疲れ、いい達成感が生まれた午後だった。

なんだか、いい受け取り方ができた気がする。贈る方の喜びにつながる受け取り方について引き続き探求したい。

*0リセット勧進では、日々の生活の要の食べ物を、いつでもありがたく受け取ります!贈って下さる方はぜひ近くを通る時に呼びかけるか、よく行く拠点に送ってくださると嬉しいです😌🙏

では皆さん、良き日々を!

頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!