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蜘蛛の巣とウェブサイト。つくる前の逡巡。

今、お寺に泊まっている。受け入れてくださっているのは福岡県の方なのだけど、その方と雑談というか、対話をしながら、そして時折、足元に擦り寄ってくる猫さんを愛でながら、なんだかしっくりこない日々を振り返り、今から、まさにやっていきたいことは何だろうかと、ふわふわ考えている。話し相手になってくださることが、今はたまらなくありがたい。

今日散歩をしている時に、蜘蛛を見た。お寺の敷地ないで1匹。集落の中の空を見上げた上の方に4匹いた。蜘蛛を見ながら、「あぁ、蜘蛛の糸でも降りてきたら、俺は昇っていくんだろうか」と苦笑いした。

特に死にたいほど落ちてはいないが、これまで足場にしていたものが崩れた今のタイミングでは救われたいなと思うこともたまーーに、ある。でも蜘蛛の糸の童話みたいに、この1本に他の人を蹴落としてまで救われたいという、そんなほどでもない。救われたいという言葉は思いのほかポップな感じに言っている。

むしろ自分の状況は、蜘蛛の巣に引っかかった虫のようなものかもしれない。動けない時の状況って、妙に粘着力がある。

よくこんなことを思う。

次のアクションのためのウェブサイトをつくりたい。

考えの方向性が近い人、信頼する人で、なおかつ、クリエイティブを委ねることができる人にお金を還元したい。

クリエイティブに関わる人にはお金も還元したい。

同時に(所有を手放す方向に努めてきたことによる)お金を持つことへの葛藤や不安。ライフスタイルの変化に対する葛藤がある。


一緒に作品づくりしていく、しっくりくる人とまだ出会えていない。

したいことがたくさんあるのだけど、それらを実施する上で、どうしてもウェブサイトを作りたいと思っているのだよね。

それは、日々の頂いていること、所有すること、贈ること、その流れを可視化するものであり、独自のクラウドファンディングである"勧進"をするためのものであり、つくる本をお布施していくための装置でもある。汎用性のあるものを作るつもりはない。あくまで自分にチューニングして、作品として、形にしたい。

しかるべき人に出会うためにも、得意ではないけど、もう少し具体的にアイデアが"見える"ように、可視化したいところなのだけど、バクッとアイデアの方向性はあっても、詳細はぼんやりしている。少しずつ、なんらかのツールを使って、イメージづくりをしていったほうがいいだろうか。委ねるところまでいけてないと思うと、さらに自分でやろうとしてしまうルートに入ってしまう。うーん、難しい。

他方、お金のこともわたかまりを解いていかないといけない。お金がたくさんあったら、相談してもいいや、と思いやすくなるかもしれないし、なんだかんだいって、便利な還元できるものがあるということは強いなと思った。所有を手放すというあり方は、基本的に"生産の手放し"とセットなのだけども、このウェブサイトはそもそも生産なのか、どうか。創造とは言えそうではないけれど。飯を食うために作るわけでもない。飯を食いたきゃ、別のことをした方がいいと自分でも思う。でも作りたいと思うんだよなぁ。

苦手としてきたことをしてみるという意味でも、自分独りでやっていくのではなく仲間と共にやっていくという意味でも、自分の殻を破っていくタイミングかもしれない。

突破口はどこから作れるのか。暗中模索。

そういえば、今気づいたのだけど、蜘蛛の巣って、英語でまさにwebじゃないか。

そろそろ、蜘蛛の巣を作りたいんだよ。

今日見た4匹の蜘蛛は、同じように蜘蛛の巣を作っていたんだけど、4匹の蜘蛛の巣がつながっていて、そこから見える空がなんだか印象的でさ。

なんだか、星座みたいに見えたんだよね。

あー綺麗だなって。

おれもそろそろ、そういうふうに複数人で、かたちを編んでいきたいのかなって、今、思ったよ。

不思議だよね。

なんで今日は1匹の蜘蛛が目に止まり、4匹の蜘蛛が目に止まったのか。わからない。

おれは、蜘蛛に吊るされる糸によじのぼろうとしている人間なのか

それとも蜘蛛の巣に引っかかってしまっている何かなのか

それとも、蜘蛛自身なのか

早く次の創作の網にひっかかっておしまいよ。


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三浦祥敬(しょうけい)@アートプロジェクト・fuwatari
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