昨日、頭が処理落ちした。先日、友人からSOSの連絡が来た時、今目の前のことがいったんリセットされ、自分の身体に強烈な波のようなものが起きたのを完治した。それに次いで、今回も同じような波がドッと起きた感じがする。
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吉野に行くことにした。奈良の桜の名所、吉野。吉野は巡礼生活、お布施の実験、空揚げすることなど、私から出てくるいろんな混雑した流れが起きるきっかけになった場所だ。3年前くらいに吉野で匿われるように過ごしていた私は精神がボロボロだった。貨幣経済に疲れ、働く気力もなく、虫の声を聴きながら、ただ息を潜めていた。吉野の懐の広さ、それはそこにいる人たちの懐の広さでもあって、それに助けられて、今があると本気で思っている。
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Twitterを眺めていたら、「吉野でバイト募集」という投稿が知り合いのお宿の女将のアカウントから流れてきた。一瞬、ん?と思う。この時期にバイトの募集。しかもそのバイトの期日は28日スタートで、投稿は30日に投稿されたものだ。相当切羽詰まっているのだろうと推察した。事実、コロナ禍でも吉野には沢山の人が訪れていたのだけど、コロナ禍を経て、今、吉野に観光客の人たちが詰めかけているようだ。ここ3〜4年の関わりの中で、その忙しさは肌身に染みている。忙しさが3週間くらいずっと続き、山を降りる暇もなく、ご飯を食べる暇もない。そんな状況にお宿の人たちも飲食店の人たちも陥る。
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それを想像するといてもたってもいられなくなった。4/8のイベントのことがあり、由布院について温泉に入り、さぁ創作の時間を取ろうと思った矢先に「受け取ってしまった」感がある。世の中にはいろんな事象が同時多発的に起こるものだけど、全てに意味があるわけではない。私もあらゆることをシャットダウンし、制作モードになれたら良かったのだけど、ついつい受け取ってしまったのだった。
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とはいえ0人間だ。お金がよく0になっている。4/8のためにお金を集めなくてはいけない状況だ。4/9以降に東京での展示のためにもお金を集めないといけない。フェリーも飛行機も安いものは全て埋まっていて、新幹線を使うしかない。そうなるとお金がかかる。先日お金を少しだけ借りていたから、返すことも考えると、さらに借りるのは難しい。でも、困っている状況であれば、お金のことなんて考えている場合ではないかもしれない。お店の方から時給計算で給料が出るらしい。それで補填したら...
などと考えているうちに、頭が一度ショートした。どうしようもない。募るぞ、と思い、ショートした脳で文章を書き散らし、Facebookに投稿した。
その結果、お布施を頂いた。2人の方がお金を小口で貸して下さった。無茶苦茶な動き方になってしまっているが、流れを頂いたということは、行け!ということだと解釈して、吉野入りすることになった。
久々にお金が発生する前提の重労働に飛び込む。対価が発生しても返すお金に補填されるだけだから、すぐに0リセットされるのは目に見えているが、自分を支えるのは、吉野に生かされたという実感で、労働の中でその実感を奪われることはない。
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由布院で一泊した後の私は、朝、温泉にゆったりと入り、調った身体で新幹線の中にいる。福岡名産・とおりもんを携えて吉野の地へ向かっている。
※カバー写真の猫は吉野山にゆかりのある人の一部にはご存じの猫😌