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うまくいってないという認識

毒を売るというNoteを投稿した。その背景には、OFUSE Experiment どうもうまく進展しないなーという思いがあった。

しかし、あらためて思うと、別にうまくいってないかと言われると、うまくいっているようにも思う。何がうまくいく、うまくいかないの基準になっているのか。このところ、動かず、1箇所に滞在していて、お金が入ってくる機会は生まれづらい流れの中にいると思う。でも、だからといってうまくいってないかと言われると、次の展開を考えたり、準備をしたり、そういう時間にあふれているという意味ではうまくいっているような気がしてきた。

寝込んだり、動けなくなってしまうこと。それを体験して、これまでのように動いていない。だからうまくいっていない。そう捉えていたのだけど、状況は刻々と変わっていってるし、いま直面しているのは、新しい今だ。前の感覚をオンにし続けている場合じゃない。

正直いうと、月ごとにお布施してくださる方を探し、本づくりの活動にお布施して頂く。そして本をお布施していく。流れをともにする人を見つけるという意味ではうまくいってない。今後、試行錯誤するし、見つかっていくと思う。

あぁ、そうだ。今日も料理をつくり、美味しいご飯を食べることができて、あたたかい布団で寝ることができるということ。それは紛れもなくありがたいもので、それが今日成り立っていたということは奇跡みたいなものだ。そういう意味では、うまくいっていた。本作りをしていこうとする自分を生活が支えてくれている。お布施下さったお金がまだ、もう少しだけある。なんとありがたいことか。

うまくいっていないという時には、前提にしているものを何度も何度もたしかめていこうと思う。

命が続いているという奇跡の中を生かして頂いている。まずはそこが始まりだ。

いろいろ思った通りにはいかないけれど、お布施をくださる方々からのお金やご縁で生きることができている状況、それそのものが、とんでもなくありがたいことなんだった。忘れてた。

このことは何度でも思い出したいこと。贈ってくださることは義務じゃない。見返りがあって与えた人もいるかもしれないけれど、多くのお金が見返りなきもののように感じる。その背後には、地球がある。大地がある。海がある。森がある。川がある。動植物が自らの命を贈り物として捧げてくださっている。森羅万象の巡りと恵みを、いろんな方が届けてくださっている。

うまくいってないという時に、あらためて自分の足元を、何度も前提になっているものを思い返す。

今日も生かしてくださって、ありがとうございます。夕日が綺麗だったよ。

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三浦祥敬(しょうけい)@アートプロジェクト・fuwatari
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