こんにちは。
23年、4度目、5度目の0リセットが起こりました。
4度目の0リセットのお知らせはこのような感じでした。
毎度のこと、0リセットする時には身体がザワザワします。安心と不安のせめぎ合いという感じです。ただ、ここ最近の傾向として、不安に飲み込まれてしまうということが少なくなってきています。安心感の方が勝るようになってきたのは、体験していて面白い変化だと感じています。この観点は3回目の0リセットの時にも触れました。
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毎度毎度、作為・意図をもつ自分自身との戦いでもあります。私はお布施を受け取るというスタイルを公開しています。そして、働いたことに対する対価を頂くということを前提に生きていないので、基本的に手元にお金が入ってきても、次第に減っていきますし、無くなってしまいます。その時に、「0になりました」とお知らせをするのですが、ここでどうしても煩悩がわいてきます。
「こういうふうに書いた方がお布施してもらいやすいかな?」とか、そういう思いが生まれてくるんですね。
実際、お布施を頂く量が増えるとこの社会を生きる中での選択の幅が広がりますから、手元にお金が多めにあると助かります。
しかし、お金を増やそうとなると、テクニックに走りたくなってしまいます。いい写真を使うとか、ね。
思考がどんどん回って、「こうやれば返ってくるのではないか!」という計算が増えて、、、、そうなると、だんだんお布施の手放すという感覚から離れてしまいます。うーん、バランスの取り方がとても難しいです。でも、あれなんだろうな。こういう計算が生まれてくるということ自体を否定しても仕方なく、それを受け入れながらも、よりニュートラルな心境で巡らせて下さることに委ねてみるということをやるしかないのだろうなと思います。聖俗のあわいで生きているのだもの。いろいろありつつも0リセットを繰り返してみるということで見えてくる景色を楽しんでみようと思います。
これまで、お布施で生活をするというふうに言ってきましたが、少しニュアンスが変わってきている気がします。お布施を手段に人生の目標を達成するというよりも、二度と繰り返すことができない有難い世界に生きていることを思い出させてくれる人の関わり自体が、そのまま尊いですね。。
ちなみに、2月5日の夜23時頃に0リセットしましたが、朝までにやってきたお金は500円でした。2月6日の朝10時頃にもう1回0リセットを行ったのですが、その時の出来事が印象的だったので、後日Noteの方に書いてみようと思います。
読んでくださって、ありがとうございます。