答えのない数学#7 【津田塾大学 学芸学部 数学科 原隆先生 ロングインタビュー】
ライフワークとしての数学
編集者:次にお伺いするのは出来合いの質問ではないというか,ちょっと答えに迷ってしまう質問なのかもしれないんですけれど,よろしいですか.
原先生:はい.
編集者:数学を続ける上で,あるいは,数学者としてなにか一つのテーマを考え続けたりですとか追っていく中で,「続ける」ことってすごく重要だと思うんです.その一方,休みたくなるときとか,もうこれはやめたいという風に思うときもあったりするのでしょうか.
原先生:そうですねぇ(しばし考える).
編集者:数学者の先生方はご研究のテーマに興味があって,その興味が非常に強いので――仕事だからとか義務だから研究をやっているわけではないともちろん感じるのですけれど――,その続けるモチベーションの源泉といいますか,逆にいうと,やめたくなるとやめちゃうこととかもあるのかなとか,そういうあたりが気になりました.
原先生:もちろん順調にいくケースばかりではないですし,研究が上手く進まなくて嫌になることはもちろんたくさんありますよねぇ.嫌にならない人っているのかなと思ったりもしますけど(笑).私の場合は,そういうときは全然違うことをやったりすることが多いですね.数学の研究にしても,ちょっと全然違うこと――いったんこれはちょっとやめにして他のテーマを進めたりとか.そういうことは案外多いです.他には数学書の本でも全然違う分野の本を読んでみたりとか.
編集者:自然と休ませている(寝かせている)感じですか?
原先生:休んでいるのか,休んでないのかよく分からない感はありますけど(笑).ずっと同じ問題を考えることももちろんあるんですが,煮詰まる感じはちょっと良くないなぁと.最近はやっぱり特にそう思いますね.あと,本を読むにしても,セミナー形式でやったりとか.「とにかくこの本は読まなきゃ!」というときは,無理やりセミナー形式にして読まないといけない状況を作るとかですね.いろいろやりようはあるかなと思うんですけどね.
編集者:私みたいな者が執筆のお仕事を依頼させていただいたりとか,他にも諸々の雑務がたくさんある中でご研究を――ある意味,ご研究はご自身の人生のテーマみたいなものなのかなと思うのですが――上手く続けられておられると思います.これはある意味,世間から見たら相当凄いことだと思うんですよ.
原先生:そうなんですかねぇ(笑).
編集者:例えば,私みたいな普通の会社員がそういった「人生のテーマ」を持って日々生きているかというと,全くないことはないですけれども,数学者の方が持たれているそれとは少し違うといいますか.家族とか,仕事だったりとか,数学者の方はそれもしっかりとありつつも,自分の世界といいますか,自分の中の数学の世界みたいなものをご自身のご研究の中で探求されていて,それは一生続くわけですよね.
原先生:まぁ,ライフワークみたいなものになりますよね.
編集者:それぞれの方が数学的問題意識ですとか,モチベーションがあって,それぞれのご研究の取り組まれているのだなと.原先生とお仕事で接する中でそんなことを改めて感じました.
原先生:いえいえいえ,どうなんでしょう(笑).
好きな数学、できる数学
編集者:これも単純な興味になっちゃうんですけど,先生の中で好きな数学とできる数学の違いというものはあるものなのでしょうか.たとえば,これは論文が書けそうだ,つまり実務的にできそうだ,この問題を深堀りして,例えば細かく数学的に分類したら「仕事」としてきちんとした結果が出そうだというものがあると思うんですけれど,それとは少し別の角度で,単純にこの問題をただ考えたい,純粋に追い求めてみたいという問題との差異はどういう感じなんだろうかと.
原先生:そうですねぇ.パートタイムのときは業績数とか,とくにテニュア(※ テニュア・トラック制度)とかですと,ある程度,論文数を出さないといけないとか別の圧力がかかってきちゃうので,なかなかそこではやっぱり難しいということはあり得るんじゃないかと思いますね.だから,その辺はなんとも.
編集者:ひとつの要因として,それぞれの環境もあるということですか.
原先生:環境も重要ですし,同じ数学でも,分野によっては論文1本書くのもそんな簡単ではない分野もざらにあるので.
編集者:確かに分野によって違いはありそうですね.かといって,論文が書きやすい分野だからそれを自分の専門に選ぶというと,今度は自分の好みの数学との兼ね合いもありますし.数論幾何だと研究の入り口に立てるようになるまでの仕込みの勉強が相当だと思うんですけれど,別の分野だと基礎的な下積み勉強のあとは比較的すぐに論文を読めるようになることもあるという話を聞いたことがあります.
原先生:もちろん,そうですね.数学の中でも分野によりけりですね.例えば解析数論とかだと,ある程度,微積や解析の予備知識を身につければ,最先端の問題にも取り組めるようになるので,比較的取っつきやすい分野ということはあるかなと思うんですけどね.ただ,あそこは誤差評価の世界というか,計算の誤差評価のテクニックとかが非常にシビアな世界なので,それはそれで競争が激しいのでなかなか大変だとは思うんですけれども,先ほどおっしゃった入り口に立つまでは確かに行きやすいというのはあるかもしれないですし.やっぱりそれは分野によってまちまちで一概にはいえないですね.
編集者:好きな分野で好きなことを,というのが一番いいと思うんですけれど.その中で研究者になるのは非常に大変なことだと思います.
原先生:まぁ,職業としての数学者の道は,万人にお勧めできる道でないことだけは確かですよね.生半可な気持ち,生半可っていうとお叱りを受けてしまうかもしれませんけど,「ちょっと数学好きなんで研究者になってみようかな」という感じだとなかなか厳しいってのは,うーん,現実問題ありますね.
編集者:はい.
原先生:ただそれは別として,趣味として数学をやっちゃいけないというわけではないので,もちろん当たり前のことですけれども.最近,数学は数学をしっかりやる人だけがやるものだからという風潮,ニュースなんかでも「純粋数学はアカデミックな人だけがやればいいのであって,そうでない人は実学だけやればいい」みたいな風潮がすごく強いんですけど,それはどうも違うような気がします.現代数学にはやっぱりロマンというか,いろいろすごい楽しい世界なのに,それはプロの人だけがやればいいという風潮は違うような気がするんですよね.
あと,最近だと YouTube で数学の面白さを配信されている方とか,中島さち子さん(株式会社 steAm CEO & President)や岡本健太郎さん(切り絵アーティスト)のようにアートや表現の世界に巧く数学を取り入れられている方もいらっしゃいますし,それこそ久米さんのように編集者として数学に携わられている方もいらっしゃる.そんな風に,数学との関わり方も本当に多様化していますので,「研究者」という道に固執する必要もないのかな,と思います.ちょっと話が逸れちゃいましたけど.
編集者:いえいえ.まさにおっしゃるとおりだと思います.
なにも考えない時間
編集者:先生のホームページの「履歴書」のコーナーを拝見していて,「趣味」のところに「トレーニング」とあって,ビッグ3(※ ウェイトトレーニングのベンチプレス,スクワット,デッドリフトの3種目のこと)のマックス重量(※ 1回の最大挙上重量)がメモされているのを見ました.やはり身体を動かすというのは気分転換になりますか?
原先生:それはもう,やっぱり全然違いますね.トレーニング中はなにも考えない時間で,発散できますね.気持ちのリセットにもなりますしね.
編集者:数学者の先生方の気分転換といいますと,山登りされたりとか登山がご趣味の方が多い印象です.整数論ですと,加藤和也先生(東京大学名誉教授,シカゴ大学数学科 Samuel K. Allison Distinguished Service Professor)が思い浮かびました.
原先生:ええ,はい.
編集者:お弟子さんと一緒に山に行かれて,山の中を歩きながら,数学の話をされて研究を進められたというエピソードをどこかで読んだことがあります.最近の若い研究者の方ですと,スポーツやウェイトトレーニングを嗜んでいらっしゃる方も増えてきたのかなという感じがしました.先生,少し前にフルマラソンに出られてましたよね.
原先生:あぁ,はいはい(笑).このあいだ出ましたね.
編集者:これもひとつの気分転換ですね.フルマラソンの完走,すごいです(笑).本日はいろいろと貴重なお話をありがとうございました.
編集後記
インタビューを終え,『手を動かしてまなぶ 群論』を鞄に入れて帰路についた.帰りの電車に揺られながら,なぜか分からないが,今日のお話で伺った大岡昇平の小説『野火』のくだりが脳裏に焼き付いて離れない.
人はいろいろな経験をよく記憶しているもので,このインタビュー記事の冒頭(#1)で引用した演説がどうして頭に浮かんだのか,ふと思い出した.
筆者は昔,英語の教科書を音読するのが好きで,繰り返し,繰り返し,何回も音読していた.抑揚や速度を変えたりもする.全然飽きない.
体感だが大体50~60回くらい大きな声に出して音読すると,元の英文を見ずにできるようになる.80回~100回くらいすると空で言えるようになってきて,テキストを持ち込めない場所――風呂で湯舟に浸かりながらとか――でもできてしまう.それが高じて,文学作品の冒頭とか有名な演説なんかを見つけてきては音読するという――今思えば変な趣味である.
理系になってからいつの間にかそんなことには興味を失い,自分でもすっかり忘れていたが,今日のインタビューで遠い記憶が呼び起こされた.
【完】
【津田塾大学 学芸学部 数学科 原隆先生 ロングインタビュー】
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(文責: 裳華房 企画・編集部 久米大郎)
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