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楽しみながら成長する

 息子(2歳7ヶ月)は、公園に行くのが大好きです。先日、車で広い公園に遊びに行きました。この公園には、大きな築山があります。その築山の長い階段を見上げた息子は、迷うことなく登り始めました。私はあわてて手をつなごうとしたのですが、「じぶんでのぼる!」と私の手をふりほどき頂上まで全力ダッシュ。数ヶ月前は、数段登ると疲れてしまい、途中からは抱っこをしていたのですが、今では自分だけで登りきれるようになりました。子どもの成長には日々驚かされます。

 息子はこの後、何度も階段を登り降りしました。頂上から見る景色が好きなのに加え、階段をかけ登ること自体が楽しいのだと思います。
 その姿を見て、自分の高校時代を思い出しました。全国大会出場を目指し、学校の近くの太平山の階段を毎朝走っていました。朝から千段の石段を登るのは、きつかったし、しんどかったです。でも、それ以上に、一段登る毎に強くなり、少しずつ全国大会に近づいているような感じがして、とても楽しかったのを覚えています。

 歯を食いしばって頑張る、何かを我慢しながら頑張る、という姿勢は素晴らしいです。ただ、人の成長が最も加速するのは、「きつい、しんどい…、でも『楽しい』」という感覚でやっている時ではないでしょうか。
 元陸上選手の為末大さんが、ある対談でこのようにおっしゃっていました。

 僕は、夢がかなうかどうかはどうでもいいと考えているんです。幸せは未来にあるのではなく、いまにしかありません。山登りに例えると、山頂に幸せがあると思っているのは、ずっと幸せを追い求めている不幸せな状態。一方、山登りしていること自体に幸せを感じられたら、山頂に到達しようがしまいが、ずっと幸せ。理想なのは後者ですよね。

 もちろん何の目標もなく山登りはできないでしょう。山頂を目指すという目標があってこそ、山登りのプロセスも発生します。

 夢もこれと同じです。夢を抱くからこそ、いろいろとやることがあって、日々が充実してくる。夢の効用というのは、それを達成することではなく、そこに向かうプロセスを充実させることにあるのだと思います。

 夢に向かって頑張る人も、二つのタイプに分かれると思います。夢を目指して頑張っている「いま」って楽しいよね、と思えるタイプと、「いま」は苦しいことばかりだけど、夢がかなえばぜんぶ報われると考えて努力するタイプの二つです。

 アスリートは後者のタイプが多いのですが、このタイプは危険です。夢がかなった後に燃え尽きてしまうし、夢がかなわずに挫折したときにも徒労感しか残らないからです。一方、夢を追い求める日々が充実していて素晴らしいといえるタイプは、結果が出ようと出まいと幸せを感じられる。

 一般の人も同じでしょう。夢がかなえることでいろいろな問題を解決しようとする人は、うまくいってもいかなくても、不幸せになりがちです。それよりも、夢に挑んでいくプロセスで充実を感じる生き方のほうがいい。この両者の違いを認識したほうがいいと思います。

DIAMOND ONLINE 燃え尽きる「夢」、幸せが続く「夢」より (https://diamond.jp/articles/-/37165)


 柔道の稽古は、きつい、苦しい、しんどい、というイメージが先行しがちですが、最近は「楽しむ柔道」も大切にする道場が増えてきたように感じています。咲柔館もその一つです。もちろん、柔道の稽古は「楽(ラク)」ではないありません。だから、「楽しい」だけはなく、それに「しんどい」を合わせた「楽しんどい」という感じでしょうか。
 稽古する人の年齢や柔道経験や要望に合わせて、それぞれにとってちょうどよい「楽しんどい」柔道をすることが、長く柔道を続ける「生涯柔道」の鍵だと思っています。
 柔道で日本一を目指す中での「楽しんどい」。柔道で黒帯をとるための「楽しんどい」。柔道で心身共に健康になるための「楽しんどい」。柔道家が100人いれば、100通りの柔道のやり方があって良いと思います。どの柔道も素晴らしいです。

 息子は最近「じゅうどう」という言葉を覚えました。道場に行こうとすると「パパ、じゅうどういくの?いっしょにじゅうどういく!」と言います。息子が柔道をするかどうかは、まだわかりませんが、もし柔道をするとしたら、「柔道が、好き・楽しい・面白い」という初心をずっと大切にしてほしいと思います。私自身もこの初心を1番大切にしたいです。
 今度、息子を道場で遊ばせてみようかな。 

「柔道をやることで、人生はより豊かになる」
「柔道家が増えることで、社会はより良くなる」
文武一道塾 咲柔館

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