手を動かすことが大事なタイミングもある
ある状況に対して、カイゼンしませんかって声を挙げた人がいる。普通ならそういう声こそ大事ではあるのだけど、ちょっと違和感があって一筋縄で行かない。
なんかね。そのカイゼンしませんかの根底に、物事の100%に限りなく近い比率を他責思考に逃げて、目の前のことを見ないふりしている姿勢が、ちょっと透けて見えている。
もちろん、外部要因ゼロってこともないですけど。ただ、極端過ぎる捉え方をしているときは、更に立ち止まったほうが良い気がするので。
そのカイゼンの掛け声には、カイゼンの余地はないのかなって。私は直感的にそう思ったので、この仮説の正体を探ってみなくては。急ピッチで!
違和感への感度を上げることが、色々な場を通じてどれだけできてきたか? それが問われているのかも。